不 可能 だ という 点 に 目 を つぶれ ば。 不連続性の分類

丈助のセリフが思い浮かぶ。「なるほど、完璧な作戦っすね。不可能だという点に目をつぶればよぉーーーー」

不 可能 だ という 点 に 目 を つぶれ ば

患者数を偽造する 「感染者数」という名のデマ そして無症状病原体保有者という名の「こども銀行券」 「こども銀行券」には、その旨が記されている「はずである」。 「はずである」というのは、私はそれを現認したことがないし、にも画像が呈示されていないからであり、もしその旨の記載がなければ紙幣を偽造した罪に問われ、こども銀行のホームページもこの世から消されているはずだからである。 この「感染者数」の中に「こども銀行券」が相当数混じっているのである。 では「日本銀行券」に相当する名称は何か?それが「 患者数」である。 原則ではなく原理だから例外はない。 厚労省の発表では、常に 患者、つまり新型コロナによる症状がある者(日本銀行券に相当)と 、無症状病原体保有者、つまり 新型コロナには罹っているけれども症状が無い者=見た目は全くの健康人(こども銀行券に相当)を明確に分けている。 たとえば、2020年3月23日の発表では、患者960例、無症状病原体保有者126例と陽性確定例3例(*)を合計した1089例が「感染者数」の累計として発表された。 *陽性確定例とは、当初はPCR検査で偽陽性が疑われ感染者数に算定されなかったが、後に陽性が確定した例。 なお偽陽性の問題については別途説明予定。 医療職の方はを参照のこと。 臨床で問題になるのは、患者であって、無症状病原体保有者ではない。 無症状病原体保有者は発症すれば患者となるが、無症状のままに留まって感染が終了し(終了の目安は血清抗体価の検出だが、これはこれで複雑な問題なのでこれも後に別途説明する)決して患者にはならない場合でも、「感染者数」として記録には残る。 それは 無意識で患者数を偽造する操作に他ならない。 さらにその 水増し度(こども銀行券の割合)は実際には1割どころではない。 というのは、検査は、しかるべき症状経過のある人や海外から帰国した人など、感染を強く疑われる人に対して行われるのであって、 日本では街角を歩いている人を片っ端から捕まえて検査するわけではないからだ。 SARS 重症急性呼吸器症候群 やMERS(中東呼吸器症候群)と異なり、新型コロナウイルス 感染症の場合には、ことが知られている。 では、実際に 無症状病原体保有者の割合はどの程度になるのだろうか? 自衛隊中央病院の田村らは、で、104症例全例が、船内の検疫における咽頭スワブPCR検査でSARS-CoV-2陽性を指摘されていたにもかかわらず、乗客の健常時の 日常生活動作は自立し、総じて「普段は元気な高齢者」という印象であり、 入院時は43名(41. 3%)、全経過を通しても33%(31. 7%)が無症状だった(つまり3割がこども銀行券だった)と報告している。 もし、の言うように、を見習って、 無症状の人も片っ端からつかまえてたくさん検査をすれば、全国民を検査するまで「感染者数」は増えていくが、そのほとんどは、「こども銀行券」、すなわち無症状病原体保有者となる。 このドライブスルー検査の最大の利点は、 こども銀行券を分母に入れてどんどん膨らませることによって、相対的に致死率を低く見せかけられる点である。 一方、韓国方式の最大の問題点は、事前確率が極めて低い集団に対してスクリーニング検査(実は感度が70%程度なので、スクリーニング検査としても使い物にならないのだが)を行うことによって 、多数の 偽陽性=偽患者( つまり病気ではないのに、検査が陽性となり、その結果偽患者となる)が統計の中に含まれてしまうこと、 無症状病原体保有者とともに、このニセ患者をも感染者数に含める結果(*)、感染規模のハイパーインフレに繋がってしまう点である。 検査法の問題点については、を参照のこと。 * 韓国とは対照的に、 中国では被験者がウイルス検査で陽性でも、熱が出ない無症状の場合、「病例」ではないとして発表感染者数から除外できる。 (より抜粋) この中国式の感染者数=病例=患者数という非常に保守的な定義の最大の利点は、感染規模を最小化して見せられることである。 一方の問題点は、分母が小さくなって、見かけ上の致死率が高くなってしまう点である。 そこで私がお勧めするのは、あの忌まわしい「感染者数」や「患者数」とは独立して変化する「死亡数」と、その国によって固定された固有の値である人口の比で、各国の被害規模を比較することである。 こうしてみると、検査をマクドナルド並に大安売りした韓国と、最も保守的に感染者数を示した中国の間に大きな差はない。 それよりも何よりも大切なのは、医療崩壊を回避する努力であることを、この表は物語っている。 致死率と対単位人口死亡数 致死率は、病気にかかって症状が出た人(患者)のうち死亡する可能性という、前向き指標である。 特流行期は分母である患者数を固定するのが不可能なので、あくまで暫定値に留まる。 それに対して 単位人口(10万あるいは100万)当たりの死亡数は、その国の人口を分母にした死亡者数という、後ろ向き指標である。 単位人口当たりの死亡数は分母が動かないので、流行期間中でも、特定の国、地域で経過を追うのにも、また各国、地域での流行の状況を横断的に比較するにも有用な指標である。 病気の脅威度を考える上で、この 二つは明確に区別する必要がある。 時に単位人口当たりの死亡数を「死亡率」と称することがあるが、致死率との混同を招くので、好ましくない。

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目の錯覚が起こる面白い画像のまとめ

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より 杉原:矢印があるのですが、回転させても向きが変わらないですよね。 右ばかり向き続ける。 もしかして、フチの高さが違うのがポイントですか? 杉原:そうですね。 筒のフチの曲線が上がったり下がったりする空間曲線となっていることがポイントです。 実際のフチの高さは部分によって違うのですが、いくら回しても同じ高さに見えるように作ってあるので、脳は軸に垂直な平面でスパッと切った切り口を見ていると思い込み、平面図形だと考えてしまうんです。 平面図形だったら、回転した時に形が変わるはずがないので、「ありえないことが起きている」という気持ちになるんですね。 コンピュータで設計した立体のグラフィックデータを次に添えます。 上が錯覚の起きる方向から見たところ、下が、側面から見たところです。 杉原:画像というのは、3次元の立体物を2次元に投影した情報ですよね。 そうなると、「奥行き」の情報が欠落します。 画像を見て元になっている立体物がどんなものかを読み取ろうとしても、数学で考えると答えが無限にあって、ひとつに決められません。 だけど、人の脳は画像を見て「そこに写っている立体はこういうものだ」と思い浮かべてしまうんです。 つまり、画像を見ただけでは元の立体がどんなものか分かるはずがないのに、人の脳は分かったつもりになってしまう。 これが「立体錯視」という錯覚が起きる原因です。 例えば、丸に見える立体というのは、無限にある。 四角に見える立体も無限にあります。 右から見た時には丸に見えて、左から見た時には四角に見える立体を作るためには、それぞれの方程式を立てて、連立させて解いてみるんです。 答えがないなら、そんな立体は存在しない。 答えがあるなら、それを使えば実際にその立体が作れるということです。 こんなに魔法のような作品が、数学で作られているとは思いませんでした。 ロボットにとって目の代わりになるカメラで撮影した画像を、脳の代わりであるコンピューターに送って画像処理をして、「画像に写っているのは何か」を調べて立体を認識させる研究です。 そのロボットの目のための情報処理プログラムを作って、出来上がったものの動作を確認するために、様々な絵を見せて認識できるかどうかをチェックする中で、エッシャーが描くような騙し絵を見せてみたんです。 当然、騙し絵ですから正しいプログラムであれば「その画像は立体として間違っている」と答えてくれるはずだと思っていたのですが、騙し絵の中には「この画像は立体として正しい」と理解してしまう画像がありました。 はじめは、プログラムが間違っているんだと思ったんです。 しかし、そうではなく、「騙し絵の中には、現実に立体として成立するものがある」ということが分かりました。 つまり、「絵には描けるけれど、現実世界の立体としては作れない」というものです この不可能図形は、頭の中だけに存在する架空の図形だと思われていました。 でも、プログラムに見せてみたら、不可能図形の中には立体として作れるものがあるということが判明したんです。 たとえば、次の不可能図形は立体化できます。 不可能図形を立体化させた杉原先生の作品。 杉原:プログラムが「この絵は立体として正しい」と解釈したものを、実際に作ってみたいと思ったんです。 展開図を自分で計算して、厚紙にそれをコピーして組み立ててみて、確認しました。 つまり、目で見た時に人間の脳が「この立体は作れない」と錯覚していた図形を、数学を使って可能性を探しだし、実際に立体化したんです。 この脳の錯覚と、数学で導き出せる真実のギャップから、「なぜ人間は錯覚を起こすのか」を説明できると同時に「こんな立体を作れば、こんな錯覚が起きる」と予測ができます。 その予測を形にしたものが、立体錯視作品です。 どうせ作るからには、面白いものを作りたいと考えて今も作品作りを続けています。 立体錯視作品は、数学応用の結晶と言えますね。 杉原:高校の数学の授業での講演にも呼ばれて行くのですが、実際に立体錯視を手にとって、不思議に感じると、「自分でも作ってみたい、数学を勉強しておこう」という気持ちになってくれるみたいですね。 数学嫌いがいる一方で、逆に数学好きの子たちの「このまま数学を勉強していくと、自分は将来どんな職業に就くんだろう?」という疑問もあるんですよね。 「数学を応用すればモノづくりになる」という話は、そういう子たちに数学を続けながらも、様々な分野で活躍できるということを分かってもらえるかな、と思っています。 そして錯視を応用して作られたのが、立体錯視というアート。 アート以外にも錯視の応用はありますか? 杉原:数学で錯視の仕組みが分かるということは、錯覚の強さをコントロールできるということになります。 より強く錯視が起きるようにすれば、立体錯視作品のように不思議で面白いエンターテイメントに利用できます。 その一方で、できるだけ錯視が起きないようにコントロールすれば、安全な環境作りに使うことができるんです。 錯視は、「実際とは違うように見える」という状況ですから、交通事故などの原因になります。 ですから、基本的には錯視は自然発生しないほうが良い。 今の自分の一番の目標は、「どうしたら錯視が起きにくい安全な生活環境が作れるか」という環境整備です。 具体例を出すと、車を運転している時に自分の進む道路が下り坂なのに、上り坂のように感じてしまうことがよくあります。 これは奥行きに関する錯覚です。 どういう道路構造の時に、この錯覚が起きるかは錯視の研究から導き出されます。 杉原:地球の砂漠化や、病気の流行伝染、経済破綻がなぜ起こるか?など、過去のことを調べて解き明かしながらも、それを予測に使ったり、より良くするための応援に使ったりしようとしています。 これらの研究で最も難しいのが、現象を数式で表すことです。 数式に落とし込んでしまえば、様々な操作ができるのですが、数式で表現しづらい現象と数学の世界をつなぐところが最も難しい。 まだそういった方程式の見つかっていない生物や社会現象、文化活動などの分野に数学を持ち込み、解き明かしたいというのが私たちの現象数理学です。 本日のお話は、数学のイメージを大きく変えるものでした。 ありがとうございました。

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【錯視アート】方程式が導き出す魔法の立体。数学の道はモノづくりへと続く:朝日新聞デジタル

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患者数を偽造する 「感染者数」という名のデマ そして無症状病原体保有者という名の「こども銀行券」 「こども銀行券」には、その旨が記されている「はずである」。 「はずである」というのは、私はそれを現認したことがないし、にも画像が呈示されていないからであり、もしその旨の記載がなければ紙幣を偽造した罪に問われ、こども銀行のホームページもこの世から消されているはずだからである。 この「感染者数」の中に「こども銀行券」が相当数混じっているのである。 では「日本銀行券」に相当する名称は何か?それが「 患者数」である。 原則ではなく原理だから例外はない。 厚労省の発表では、常に 患者、つまり新型コロナによる症状がある者(日本銀行券に相当)と 、無症状病原体保有者、つまり 新型コロナには罹っているけれども症状が無い者=見た目は全くの健康人(こども銀行券に相当)を明確に分けている。 たとえば、2020年3月23日の発表では、患者960例、無症状病原体保有者126例と陽性確定例3例(*)を合計した1089例が「感染者数」の累計として発表された。 *陽性確定例とは、当初はPCR検査で偽陽性が疑われ感染者数に算定されなかったが、後に陽性が確定した例。 なお偽陽性の問題については別途説明予定。 医療職の方はを参照のこと。 臨床で問題になるのは、患者であって、無症状病原体保有者ではない。 無症状病原体保有者は発症すれば患者となるが、無症状のままに留まって感染が終了し(終了の目安は血清抗体価の検出だが、これはこれで複雑な問題なのでこれも後に別途説明する)決して患者にはならない場合でも、「感染者数」として記録には残る。 それは 無意識で患者数を偽造する操作に他ならない。 さらにその 水増し度(こども銀行券の割合)は実際には1割どころではない。 というのは、検査は、しかるべき症状経過のある人や海外から帰国した人など、感染を強く疑われる人に対して行われるのであって、 日本では街角を歩いている人を片っ端から捕まえて検査するわけではないからだ。 SARS 重症急性呼吸器症候群 やMERS(中東呼吸器症候群)と異なり、新型コロナウイルス 感染症の場合には、ことが知られている。 では、実際に 無症状病原体保有者の割合はどの程度になるのだろうか? 自衛隊中央病院の田村らは、で、104症例全例が、船内の検疫における咽頭スワブPCR検査でSARS-CoV-2陽性を指摘されていたにもかかわらず、乗客の健常時の 日常生活動作は自立し、総じて「普段は元気な高齢者」という印象であり、 入院時は43名(41. 3%)、全経過を通しても33%(31. 7%)が無症状だった(つまり3割がこども銀行券だった)と報告している。 もし、の言うように、を見習って、 無症状の人も片っ端からつかまえてたくさん検査をすれば、全国民を検査するまで「感染者数」は増えていくが、そのほとんどは、「こども銀行券」、すなわち無症状病原体保有者となる。 このドライブスルー検査の最大の利点は、 こども銀行券を分母に入れてどんどん膨らませることによって、相対的に致死率を低く見せかけられる点である。 一方、韓国方式の最大の問題点は、事前確率が極めて低い集団に対してスクリーニング検査(実は感度が70%程度なので、スクリーニング検査としても使い物にならないのだが)を行うことによって 、多数の 偽陽性=偽患者( つまり病気ではないのに、検査が陽性となり、その結果偽患者となる)が統計の中に含まれてしまうこと、 無症状病原体保有者とともに、このニセ患者をも感染者数に含める結果(*)、感染規模のハイパーインフレに繋がってしまう点である。 検査法の問題点については、を参照のこと。 * 韓国とは対照的に、 中国では被験者がウイルス検査で陽性でも、熱が出ない無症状の場合、「病例」ではないとして発表感染者数から除外できる。 (より抜粋) この中国式の感染者数=病例=患者数という非常に保守的な定義の最大の利点は、感染規模を最小化して見せられることである。 一方の問題点は、分母が小さくなって、見かけ上の致死率が高くなってしまう点である。 そこで私がお勧めするのは、あの忌まわしい「感染者数」や「患者数」とは独立して変化する「死亡数」と、その国によって固定された固有の値である人口の比で、各国の被害規模を比較することである。 こうしてみると、検査をマクドナルド並に大安売りした韓国と、最も保守的に感染者数を示した中国の間に大きな差はない。 それよりも何よりも大切なのは、医療崩壊を回避する努力であることを、この表は物語っている。 致死率と対単位人口死亡数 致死率は、病気にかかって症状が出た人(患者)のうち死亡する可能性という、前向き指標である。 特流行期は分母である患者数を固定するのが不可能なので、あくまで暫定値に留まる。 それに対して 単位人口(10万あるいは100万)当たりの死亡数は、その国の人口を分母にした死亡者数という、後ろ向き指標である。 単位人口当たりの死亡数は分母が動かないので、流行期間中でも、特定の国、地域で経過を追うのにも、また各国、地域での流行の状況を横断的に比較するにも有用な指標である。 病気の脅威度を考える上で、この 二つは明確に区別する必要がある。 時に単位人口当たりの死亡数を「死亡率」と称することがあるが、致死率との混同を招くので、好ましくない。

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