会 いたい は 今 すぐ 会 いた いわ。 西野カナ もっと… 歌詞

「別れ会」に関連した英語例文の一覧と使い方

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この世には、同じ「中年以上男性」というくくりでも、「是非お話したい素敵なおじさま」と「できれば関わりたくないおっさん」の2種類の人間がいます。 それは見た目が素敵とかそういうこともなきにしもあらずですが、正直ある程度以上の年齢が離れていると、細かい微差は目につきにくくなってきます。 それよりも大切なのは、内面からあふれるもの。 あなたの周りにも、「別に超絶イケメンなおじさまってわけじゃないけど、職場の若手女子からなぜか愛されているおじさま」って、ひとりやふたりはいませんか? そんな「愛されるおじさま」「関わりたくないおっさん」の違いを20代~30代前半女性に調査しました。 その結果を発表します。 そういう人に限って女子の見た目にあれこれ言ってくる人が多い。 鏡を見てから言え」 「シャツから乳首が透けているのは本当に無理。 それとベルトにおなかが乗っているコンボだともう生理的に無理」 「体臭がすごいとどんなに見た目かっこよくても近づきたくない」 この項目は実はあまり「こういうのが好き、とこだわりない」けど、「こんなおじさんはいや……」という項目はかなり細かく出てきました。 「見た目」よりも「清潔感」重視です。 聞き上手」 「私の知らない世界を教えてくれる。 雑学に詳しいとか、映画をいっぱい観ていて、それをさらっと教えてくれるとか、ためになる」 「趣味を持っている人。 彼氏の話とかを話の流れの中で……じゃなくて唐突に聞いてくる」 女子が「素敵」と思う人は「聞き上手」という意見が多数でした。 「面白い話をしよう!」と意気込んで空回り……よりも、話を楽しく聞いて引き出す、という方向性のほうが愛されやすいようです。 ただしこれはこれで「踏み込みすぎる」のも好まれないのでご注意を。 別にお酌くらいするけど、いちいち言われるとうるさい」 「酒癖が悪くてすぐ酔っぱらってしつこく二次会三次会に誘ってくるのに記憶がない人」 そして最後に人の本性が出やすいお酒の席。 「スマートに飲む」のであればまったく問題ありませんが、飲ませようとする、説教する、しつこく誘う……など、あらゆる「絡み酒」は絶対的不人気。 実際に見かけることも多いような……ご注意を!(榎本麻衣子) 【あわせて読みたい】 2016. 24 作成.

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出会い系サイトで「今すぐ会いたい」は地雷が多い

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二代目竹中組・安東美樹組長 2018年に起きた 神戸山口組結成後、業界関係者の間で、何度かその名称の復活が噂された組織があった。 その組織が05年に解散した「 中野会」だ。 五代目山口組体制で山健組傘下から直参へと昇格を果たし、渡辺芳則五代目組長の親衛隊として、一時は山健組と並ぶほどの勢力を保持していたのが、中野太郎会長率いる中野会であった。 結果的には名称復活は実現にこそ至らなかったが、仮に中野会の二代目体制が発足されることになったなら、会長に就任にすることになるだろうといわれた幹部が存在する。 一時は現在解散している直系組織に籍を置いていたといわれていたのだが、六代目山口組分裂後は、どちらかといえば、神戸山口組に近いと見られていた」(元中野会関係者) 先日、その人物が、六代目山口組傘下である二代目竹中組に加入したことが明らかになったのだ。 「聞くところによれば、加入した幹部からは六代目山口組執行部に対して『末席からスタートしたい』という申し出があったらしいが、さすがに数々の武勇を残した中野会の大幹部を本人の意向にしろ、組織の末端に迎えるわけにはいかない。 結果として、安東美樹・二代目竹中組組長の舎弟で迎え入れられたようだ」(六代目山口組関係者) 安東組長率いる二代目竹中組といえば、六代目山口組分裂後に、二代目柴田会から名称変更を果たし、急速に組織を拡大させ続けている組織のひとつだ。 「六代目山口組分裂時、阪神ブロックに所属していた二次団体のほとんどが離脱を表明したのだが、当時、柴田会の二代目会長だった安東組長は六代目山口組を離脱しなかった。 そのため、本家(六代目山口組)からの信頼も厚く、分裂後すぐには総本部の事務方を一任されていたほどだ」(六代目山口組系幹部) この関係者によれば、安藤組長が事務方を担うようになってからは大幅なコスト削減に成功し、結果として、傘下組織が本家に上納する会費の減額にもつながったというのである。 謙虚で義理深い人柄が求心力の源か 一方で安東組長の武闘派ぶりは有名で、山口組史上最大の抗争事件と言われている「山一抗争」(1984年から山口組と一和会との間で起きた抗争事件)では、警察に警備されていた一和会会長宅を襲撃し、山口組史にその名を残す功績を挙げてみせたとまでいわれている。 その事件によって、長期服役を余儀なくされることになったのだが、武闘派でありながら人格者としても同業者からの評判高く、筆者が現役時代にもこういう出来事があった。 それは筆者が所属していた二代目大平組組長と若頭が同時に逮捕されたために、若頭代行だった筆者が六代目山口組の定例会に代理出席した際のこと。 定例会の開催までの待ち時間に、同じく代理出席していた安東組長にこう話しかけられた。 「中村の叔父さんは出てこられそうですか?」 同じ代理出席といえども、安東組長と筆者では年齢も違えば、貫目ももちろん違う。 そんな著者にまで丁寧な言葉で接してくれ、著者の親分である中村天地朗組長の安否を気にかけてくれていたのだ。 その後、瞬く間に直参へと昇格を果たし、六代目山口組最高幹部へと駆け上がっていくことになるのだが、直参へと昇格してからも総本部を後にする際、他の直参組長が乗る車両と重なれば、必ず先輩となる直参組長の車両に進路を譲っていた姿が鮮明に残ってる。 それ以外にも四代目山口組・竹中正久組長の祥月命日には直参へと昇格する以前より、必ず墓参へと訪れ、居住まいを正されていたことが印象深い。 直参昇格後は、最高幹部や直参組長らが墓参をすまされても最後まで残り、同じ霊園にある正久組長の実弟で、名称復活以前の竹中組を率いていた竹中武組長の墓参も人知れず行っていたといわれているのだ。 それだけ安東組長は義理堅いということだろう。 そうした姿が現在の二代目竹中組の求心力となっており、今回、元中野会の大幹部の加入につながったのではないだろうか。 2014年、所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。 以来、物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。 著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。 最新小説『死に体』(れんが書房新社)が発売中。

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直腸癌の闘病記

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com 直腸癌の闘病記 LINK これは直腸癌の手術を受けた方の闘病記です。 患者さんはご自分のHPで、この闘病記を公開されているのですが当サイトにも、ご好意で掲載していただきました。 一部、編集してあります。 原文は患者さんのをご覧ください 54才男性 エレベータ工事会社を経営 29歳の時に同年齢の従兄弟が直腸癌を発病。 32歳のときに従兄弟が癌転移の為に 死亡。 末期にその死に立ち会う。 教訓 1. 私は本人がガンと思いたくないためもあるが、種種の情報に誤らされた。 便に黒 い血が混じっている場合は大腸ガンの疑いがあるが鮮血は痔が多いとよく言う。 しかしそれもあるだろうが、出血が認められる場合は絶対に医者に行くべし。 痔と思い込んで手遅れになったケースがこんなにもあったとは知らなかった。 血縁者にガンになった人がいる場合、大きな確率であなたもガンになる。 ガン検診は必要だ。 3.大病院の看護婦は日々変わるため、自分の病状は常に自分で把握しておくこと。 1月10日(木) 手術四ヶ月前 作業中階段を歩いているときにおならをする(いつものことだが)とパンツのあたりが 冷たくなった。 あもらしたと思いトイレに入ると血がついていた。 出血は10数年前から深酒と仕事が忙しいときに、下痢便の最後に少し粘液状の出血す ことがあったのであまり心配をしていなかった。 ただ排便時以外に出血をしたのは初め てだったので、少し不安感はあったのだが仕事があまりにも忙しすぎるせいだろうと思 っておいた。 思えばこれが変化の始まりであった。 2月-3月 手術三月前 相変わらず仕事は忙しく、出血も排便にまじって少量づつ続いていた。 出血しないときでも排便の側面に血の跡がつくようになる。 3月ころになると排便後に3時間ばかり痛みを覚えるようになった。 しかし痛みがあるのは痔が悪いのだと、そちらのほうに気持ちが傾いていってしまった。 当然自分自身でもガンと思うよりは気が楽だから、そう思うように意識的に持っていった ところもある。 4月1-3日 手術一ヶ月前 トイレにいくと排便と混じって明らかな鮮 血がタラタラと少し多めに出た。 便器が腰掛け便器でないので、便器にたまっている水も少なく、便の状態がよくわかる。 そろそろ医者に行くべきかなと思いはじめる。 酒のせいかとも思い、ここ2週間ほど飲んでいないのに出血するので酒が原因ではないと 思い始める。 4月11日(木) 手術24日前 初診 Y医院に診察に行く。 受付の看護婦に症状を聞かれたのでお尻が痛くて、出血すると申 し出る。 診察室で先生に症状を言うと、お尻を器具で広げられ診察された。 多分この時点で癌であることはわかったのであろうが、翌日内視鏡の検査をすることに なった。 夕食以降水分以外の摂取を制限される。 4月12日(金) 手術23日前 大腸内視鏡検査 ガン発見 午前7時30分病院到着,下剤を2リットルばかり飲まされる。 便中に固形物がなくなる まで排便をするようにいわれる。 5回目ころに看護婦に便をみてもらうように指示される。 何度も排便にいくがなかなか小さな固形物がなくならない。 同時に下剤を飲み始めた60代の男性は、10時ころには看護婦の検査をパスして検査室 に消えた。 その男性が検査室から出てきたころ、ようやく私もパスして検査室にはいる。 Y先生に検査の方法を聞き内視鏡の挿入が始まる。 何しろ初めての経験なので緊張する。 緊張しないでリラックスするように言われるが、この状況ではリラックスしたくてもでき ない。 とりあえず、なるべく体の力を抜くように努める。 内視鏡の先からエアーを吹かせて、大腸を広げながら奥へ奥へと入れていく。 途中看護婦が「大丈夫ですか?」と聞くので、冗談のつもりで「大丈夫じゃないですよ」 というとY先生が「大丈夫じゃないのは当然ですよね。 でも 看護婦は悪気で言ったんじゃないですから」といわれた。 今後検査中は軽口は言わないようにしよう。 内視鏡の進行に合わせて大腸の折れ曲がり点であろうところで体を回転して内視鏡が入 りやすくする。 時折痛みを感じるが何とか最終地点まで挿入がされたようである。 先生が最後まで入ったのでもう楽になるといってくれた。 あとは内視鏡を抜きながら画像をモニターで確認して異常部分を写真にとっていく。 診察台に寝ている私にも見えるが、自分で憶測をするのも怖いのでなるべく画面を見な いようにしていた。 内視鏡の先端から出るエアーが腸の中にたまり腹が張ってくる。 「Uさん ガスを出すと楽になるから出していいですよ」といわれるが、しょっちゅ うおならをしている私でもこの状況では力の入れどころがわからず、おなかは張ったまま である。 検査の最終段階でそろそろ問題の部分に差し掛かったところで画面を見ると「おおある」 と自分でも思った。 検査が終わったところで、月曜日に大腸透視を行うので看護婦から説明を聞くように言わ れた。 とりあえず検査室内のトイレにいってガスを出し、処置室で看護婦から大腸透視 の説明を受けている最中、お腹が痛み出したのでトイレに行かせてもらう。 立ち上がって歩き出したとたん、大きなおならが2-3発不意に出る。 他の患者もいるのに恥ずかしい。 トイレに走りこんで、残りのガスを出しきってしまう。 少量の出血。 処置室に戻って残りの説明を聞き、帰りかけたところでY先生に呼び止められる。 診察室に入って、先ほどとった写真を見ながら説明を受ける。 「Uさん 大腸に2箇所小さなポリープがあります。 でもこれはたいしたことでは ない、問題は肛門の近くにかなり大きな潰瘍があります。 」 すかさず私が「ガンですね」というと、Y先生は首を縦に振られた。 少々ひるんだが「先生 はっきり言ってくださいね それならそれでやらねばならんこ ともありますので」、といってその日は病院を後にした。 家に帰って事務所にあがり、一人ゆっくりと恐怖と悲しみを味わう。 今後どうなるのか、死ぬのなら早いほうが良い、長期間にわたって死の恐怖に絶えられな い、などと考えていた。 1年半ほどやめていたタバコもいまさら健康に気を配ったところでと、思い切りすって 夜を迎えた。 酒も控えていたが睡眠薬代わりにと少し飲んだ。 本当は酔っ払うほど飲んで、全て忘れたいところだが、怖くてたくさんは飲めない。 こんなところにも命への執着心がある。 3時間ほど寝たところで、汗をいっぱいかいて目がさめる。 下着を着替えて床に入るが、寝付けないまま朝を迎えた。 家族に言うと家の中が暗くなりそうで、また家族全員が暗くなることで自分も絶えられ くなると思い、まだ言っていない。 4月13日(土) 手術22日前 落ち込む 精神上最大の危機 幸い仕事はひまなときで、社員も有給休暇で休んでいるのがほとんど。 インターネットで直腸ガンを検索し、ガン闘病記をむさぼるように読む。 人工肛門を増設した人の闘病記が3件ほどあった。 特にその中でも、十数年前に手術をし現在フルマラソン、登山と活躍中の根橋さんの手 記はとても参考になり元気づけられる。 しかし、これらの人は無事生き延び、また底抜けの明るさや気丈な精神の持ち主でもある。 その陰に幾千人幾万人の不幸な最期を迎えた人たちがいることだろうとも思う。 そして 自分はそのうちのどちらに---。 ためいきとあきらめ、また読む。 そしてまたためいきとあきらめ。 仕事のことも気がかりだが、大部分の社員はすでに一人前になっているので心配はあまり ない。 次男の誠も幸いなことに今年はじめから特訓をして、何とかダムウエーターの工 事が一人でできるようになっている。 月曜日の検査後には公表しなくてはと、公表する順番などを手帳に書き留めていく。 夜、まだ妻には言っていない。 感づかれないように取り繕って就寝。 やはり3時間ほど寝たところで汗をいっぱいかいて目がさめる。 下着を着替えて一人キッチンで新聞などを読み、ベッドに入り本を読んでいると眠気が 差してきたので朝まで少し眠った。 4月14日(日) 手術21日前 智子(妻)にガンを知らせる。 朝 いい天気 気分が大分良い 妻が気晴らしにどこかに出かけようかというので、瞬間 今なら明るく言えそうだと感じたので、「お母さん、俺な- ガンになっちゃた」「え-」 絶句。 いづれにまず最初にいわねばならぬことだし、もうそれも明日に迫っていた。 1月から出血があったこと、金曜日に医者に確認したことなどを説明し、自分はもう割り切 れたこと、だから心配しないでほしいなどと、一気に言ったところ、智子は「いまどき ガンは死ぬ病気じゃない、私がちゃんと看病してやる」という。 手術する病院はY医院の場合T病院を指定されるだろう。 また智子の看護のことも考えて、T病院にするというと智子は「ガンと本人がわかっている のだから専門のガンセンターに行くべきだ。 小倉のガンセンターなら車で往復できる」という。 私自身も、十分転移も考えられるので近くの病院でよいと思っていたが、どうもすぐに死に そうでもない。 人工肛門も術例の多い慣れた病院のほうがスムースにいくかもしれないし、また病後のケア の指導なんかもあるのでと思い、小倉の医療センターのホームページで確認すると、なんと 末期ガンの緩和ケア病棟も設備の充実したものがある事がわかった。 従兄弟の末期を知っているだけに痛みを和らげてくれる設備がある病院ということが大きな 魅力になった。 早速智子に言うと「そんなことはあんたが心配することじゃない。 もしそうなったら私が ちゃんと手配してやる」と笑われた。 そういうことで手術は北九州医療センター(小倉のガンセンター)の外科ということに決め ておいた。 あとはY先生に話して協力してもらうつもりだ。 それからしばらく皆に言う時期、会社のことなどを話し合って、まず明日の検査は智子も同 行し、帰ってから子供に説明、同時に取引会社に連絡し、社員には夕方と翌日に分けて話す 事にした。 智子に言ったことで気が楽になった。 今日は朝から食事はできず明日の透視検査用の流動食を3食摂る。 夜8時の薬は下剤だったんだろう、9時前に大便がたくさん出る。 しかし夜9時の座薬を入れて30分後に大量の出血をした。 ほとばしるような出血、便器いっぱい真っ赤になる。 びっくりした。 出血は夜中2度ほどやはり大量に出る。 朝方徐々に納まっていく。 智子は心配そうでトイレに立つたびに大丈夫かと聞くので、下剤を飲んだからだと答える。 結論はわかっているので動揺も大きくはない。 この数日のことは、幸いなことにインターネットで読んだ闘病記特に根橋平良さんの闘病記 が非常に参考になった。 それには症状などが詳しく書いてあったので、大量の出血も ああこれかというような感じ で受け止めることができる。 前知識なしにこういう事が起きると本当に狼狽するだろう。 それでも数時間ずつの睡眠は取れた。 4月15日(月) 手術20日前 大腸透視検査 朝10時の指定でY医院にいく。 今日は智子がついてきてくれる。 1時間ばかり待たされた後でやっと検査が始まる。 口からバリウムを飲むとばかり思っていたが、お尻から入れると聞いて昨日の大出血のこと を話し、気をつけて頂くようお願いした。 先日の内視鏡挿入で慣れているとはいえやはり少し痛い。 バリウム注入後、機械式ベッドの上でおなかを上下左右前後にゆすりバリウムが腸内に均一 に行き渡るようにする。 後レントゲン撮影。 よかった、今日はあまり痛まなかった。 検査後待たされる。 誰も居なくなったころ、やっとY先生に呼ばれ診察室に入る。 智子も入っていいかと聞くといいというので、一緒に入ってもらう。 念のため昨日の確認のようなもの、しかし先生の口からはガンという言葉は出ない。 私のガンという言葉にうなずく程度。 やはり告知をするということに、世間一般の抵抗があるのだろうと思う。 話が入院のことに及ぶ直前、私のほうから手術は小倉の医療センターでしたいこと、その理 由は第一にその病院が緩和ケアの施設を持っていること。 私が従兄弟の死を見届け、その経過を十分に承知していることなどを告げると、Y先生は 「わかりました。 そういうことならば、医療センターに提出する資料をそろえてあげま しょう。 いつ行きますか?」 「できたら明日にでもいこうと思っています」 「じゃあ 明日朝取りに来てください」 ふと診察室内を見ると、もう患者は誰も居らず、数人の看護婦が私とY先生のやり取りを聞 いていた。 一人の患者に突然降りかかった災難に立ち会う真剣なまなざしがあった。 病院を出たのは午後1時ころであった。 今日は子供たちが二人とも家にいるように仕事の段取りをしていたので、帰宅後すぐに長男 と次男を呼び状況を説明した。 当人たちはあまりピンときてないみたいだ。 まあ 見かけの私は健康そのものであるから仕方のないことであるが。 当の私とそして智子はそれどころではないものがある。 特に智子は悲しみを表に出さずに皆の前で明るく振舞ってくれるのにはありがたく思う。 電話で取引先に連絡する。 その他はそのうち話が伝わっていくだろう。 終日気が付くままに子供たちに私の入院中のこと、また不幸にも私が死亡した場合の将来の ことなどについて話をする。 大阪の妹にも電話をし手術の日は来てもらうように頼んだ。 相変わらず「これからは智子を大事にせなあかんで」といわれる。 わかっとるわい。 頼りになるのは智子だけやと思う。 前の家に住んでいる両親にも話した。 年老いた両親にはできるならば話したくないがいつまでも隠しおおせるものではない。 できるだけ明るく話をするが、落胆はかなりのもので、「嘆いてもどうなるものではない。 それよりも自分たちのことを気をつけてくれ」としかいいようがない。 皆に話をし気持ちが落ち着いたのか熟睡できた。 4月16日(火) 手術21日前 医療センターに転医 今日も行けば何か検査されるかもしれないと思い、朝食抜きで家を出る。 朝8時半にY医院に検査データと紹介状をもらいに行く。 その足で北九州医療センターに行き、受付を済まし診察カードをもらって、2階の外科外来 に行くと待合室に50人位の患者が待っていた。 先日にすることは済ませ、もう仕事のことは心配しないことに決めたので気持ちも楽で少々 冗談もいい、智子と談笑しながら順番を待つ。 やがてA先生の診察室に入り、Y医院の紹介状と検査データを読んでもらう。 簡単な触診の後、この病院での検査日程を説明される。 看護婦が朝食のことを聞いたので摂ってない旨を告げると、早速今日から検査を始めるとい われたので、検査指示書をもらい、言われた順番に回ることにする。 まず内科外来で内科医の問診を受ける。 次に上半身のレントゲン撮影、検尿、採血、肺活量、心電図の検査をされる。 再度元の外科外来に行き、入院までの検査日程と検査指示書をもらって本日の予定は 終了した。 帰宅してしばらくすると父が心配してきた。 夕べ眠れなかったらしい。 再度昨日言ったことと同じことと、体に気をつけるように言った。 眠れなかったのは父母だけではない、智子もそうだったらしい。 智子にはこれからが大変なんだから、今のうちはあまり気を使わずに、できるだけ体を休め て置くように頼んだ。 夜皆が仕事から帰ってから、社員を全員集め状況を説明、仕事のことは任せるということで 私は家に入る。 全員残って作業打ち合わせをやっていた。 もう安心だ。 先日電話をしておいた従兄弟の和己が来る 飲んで来たが「今日は酒なしやで」と言って話 し始める。 飲みたそうだったが飲むわけにはいかない。 今まで二人でよく飲み歩いたが、もうそんなことは出来ないだろうと少し悲しくなる。 4月17-21日 検査も何もなく家で気楽に過ごす。 20代はじめのあまり責任のない仕事をしていたとき以来30数年ぶりにストレスのない毎 日、昼間からゆっくりテレビを見、読書する。 食欲もある、睡眠も十分、こんないい生活止められんと公言する。 智子も父母も疲れただろうと気を使ってくれるけれど、現在の病状ではまだ何も感じない排 便後少し痛みがあるだけである。 大阪の姪たちからの見舞いの電話。 昨年大腸癌で手術をした叔父が心配してきて叔父の話を聞く。 当時はあまり病気のことを聞くのは悪いと思い、よく話を聞いていなかったが今回は自分の ことでもあるので熱心さが違う。 4月22日 手術15日前 医療センターで大腸内視鏡の検査 内視鏡検査の日、消化のいいものを前日の夕食に摂っておこうと冷やし麦を食べたことを 後悔する。 おなかが空いてしょうがない。 まだ食欲は旺盛だ。 夕食以降何も食べられないということなので、夜中に寝とぼけて食べたらいけないと思い、 テーブルの上の食パン、お菓子などを食器棚の上に隠す。 朝 智子が早くにパンを買ってきていた。 「お父さん 宏幸(長男)がカップめんとパンを全部食べとった。 食べ過ぎや」 「あ- 俺が全部食器端の上に隠したんや 下ろすの忘れとった」 智子は私に隠れるようにして朝食を取っていた。 エンゲル係数の高い大食漢の我が家の現実。 少し早いが智子と医療センターに行く。 受付を済ますと、あまり待つことなく検査室に呼ばれる。 まず胃の検査 しびれ薬みたいなのを飲まされ注射もされて検査室にいく。 横向きに寝かされて口に筒をくわえる。 余り見たくないので目を瞑ると、看護婦が目を開けて遠くを見る方が体の力が抜けると言う。 検査室の中のこととて遠くの目標は無いので、仕方なく一番遠くの書類棚を見つめておくこと にした。 やがて口にカメラが入っていく。 一瞬嘔吐感 医者がもう通り過ぎたから大丈夫だと言ってくれる。 どんどん入れられて入ってしまうと、今度は抜きながら検査していく。 最後に抜かれるときは、入れるときと異なって何も感じないですんだ。 しばし休憩時間をくれて次は腸の検査。 まず浣腸をされるらしいが、先日の出血の事もあり、あまりきつい薬を使わないでくれと言う。 出血そのものはいいが、それで検査が出来なくなる事の方が心配だというとそれは心配無いと 言われたので浣腸してもらう。 朝2回ばかりと病院に着いてから1回排便していたせいか浣腸液と少しだけ排便があった。 4月24日 水 手術13日前 昨日夕食に好きなゴーヤチャンプルを作ってもらい食べた。 排便の状態がすごく良く出血もまったく見当たらない。 これはいいやと思い今晩も作ってもらう。 入院したら又禁煙、酒もほとんど飲んでいないがほんの少しだけ飲む。 4月25日 木 手術12日前 今日はCTとエコーの検査日。 朝から絶食、今回は前日の夕食にたっぷり食べたので空腹感はない。 が 念のためまたパンを食器棚の上に避難させる。 智子は義母のペースメーカーの電池替えの為、飯塚病院に行く日なので一人で行く。 11時の予定だが9時半頃に着いてしまう。 前回同様受付を済ませて持参した本を読んでいると、30分位で検査室に呼ばれる。 液体をコップいっぱい飲まされる。 CT検査台の上に乗って手の静脈に針を刺され薬の注入、数度検査されるが楽な検査だ。 次にエコー やはり苦痛はない。 いよいよ明日は入院の日だが、最後の大腸透視検査が30日なのでやはり手術は連休明けに なるのだろう。 帰路入院中に読む本を買って帰る。 澤木幸太郎 などを買い込む。 4月26日 金 手術11日前 入院当日。 神様がくれた休日。 智子と医療センターに行く途中、家族の運勢などについて雑談をする。 占星術によるものらしいが、智子は若い頃からそれに関心を持ち、かなりの的中率らしい。 それによると、今は私が悪い時期ではなく智子が悪い時期であるとのことで、どうやら私 は智子の肩代わりをしているのだそうだ。 つまり私の病気が智子の厄になっているわけだが、それでは私自身はどう判断したらよいの かわからない。 とりあえず これは神様がくれた休日であって、この災難の後はきっと今まで以上の幸せに 満ちた転機がおとづれる、と根橋さん流の解釈をする。 医療センターの入院病棟到着後身長(168cm)と体重測定(76.5Kg)をする。 担当の看護婦による病棟内オリエンテーションがあり、病棟内の設備や入院中の注意事項な どを説明してくれる。 引き続き身上書の記入、家族構成や家族の病歴などをカルテに書き込んでいく、この経過で 親族内のガンの履歴が私にも再度明らかになっていく。 なにしろ入院は高校生時代にアルバイトで怪我をして以来、医療は大きく進歩している。 新入社員のように看護婦の言うことをメモしていると、智子に笑われる。 しかし当の私は右も左もわからず、全てが目新しく、緊張の連続。 ドギマギドギマギ何を聞いても右の耳から左の耳状態だからメモしてるわけである。 全ての手続きが済んだところで、智子は返すことにする。 私もまだ元気だし、とにかくいまは智子の健康に注意してもらわなくてはと思う。 昼食 今までは腹いっぱい食べていたが、これが本当の一人前かと思いながら、あっという まに食べ終える。 午後一番に担当医のN先生に初対面、初めての診察を受ける。 現在までの検査の結果、とりあえず肝臓への転移はないといわれる。 その他の臓器への転移についてたずねると、あとは手術のときにリンパ節の組織を取ってか らのことになる。 重くもないが、軽くもない病状でリンパ節への転移がある場合はステージ3、ない場合はス テージ2だそうだ。 体重測定値を見ながら「太ってますね、手術が大変だ」といわれる。 とにかく何もすることがなく退屈なので病院の階段を50階分くらい歩く。 神様がくれた休日 ガンであることを知って自分自身を救うために、この病気は神様が「おまえは今までよく働 いてきたので褒美に休日をやる」といってくれたことにする。 そう考え始めると全てのことがよい方向へ考えられるようになった。 54歳のときでよかった、もっと若いときだったら子供のこと、生活のことでもっと苦しむ ことだったろう。 今でよかった、昨年ならまだ一人前になっていなかった長男のこと、次男のことで心配だっ たろう。 幸い二人とも昨年から今年にかけての特訓で何とか作業長ができるようになっている。 ガンが今発病してよかった。 あのままハードに働きつづけていたら高血圧が進行して、脳梗塞か何かで寝たきりになった かも、ガンなら治してからまた働ける etc etc。 信仰心のない私のこと信仰する神様を持たないので神様つくりからはじめなければならない。 私の神様は現存する宗教が敬う神のさらに上の存在とすることにする。 唯一神で名前は不要 キリスト マホメット 仏陀 はこの神の使徒である。 どうやら キリスト教 ユダヤ教 回教の元々の神に近い最強の神となってきた。 4月27日 土 手術10日前 昨夜は入院初日のため眠れないのではと心配していたが夕食後すぐに眠くなった。 早く寝付くと夜中に目がさめて困ると思い、一生懸命目をあけていたが9時頃にはたまら なくなり眠ってしまった。 夜中2度ほどトイレに起きただけで朝6時頃まで熟睡、部屋の前がトイレのため朝早くから 騒がしくなる。 朝食前の運動に階段歩き。 朝食後何とまた眠ってしまった。 精神衛生上よい事だ。 3食食べて、本読んで、ゴロゴロしてなんと幸せな毎日。 土曜日のため病院内も静かだ。 同室者のこと 最初入ったときは私とHさんという70台の人と同室だった。 Hさんは入院2回のベテラン、現在抗癌材の点滴中で2ヶ月の予定だそうだ。 口数はあまり多いほうではないが話し掛けると答えてくれる。 たぶん抗がん剤で気が重いのだろう。 探せばたぶん同病の人もいるんだろうが、まさか「あなたはガンですか」なんて話し掛け るわけにも行かない。 私の場合は今は元気いっぱいで、病棟中見回しても私が一番元気そうだ。 夕食後また猛烈に眠たくなり、8時過ぎには寝付いてしまう。 夜中1時頃何かがあったのだろう、トイレのあたりが騒がしくなり、そのまま目がさめ てしまう。 何とか眠ろうと努力するが寝つかれず堀さんを気にしつつ、枕もとの明かりを つけて読書をする。 夜中2時頃看護婦の巡回、昼間いなかったT看護婦が「どうしました、眠れないんですか」 「大丈夫、早く寝付いたものだから目がさめてしまいました」と答える。 4月29日 月 手術8日前 昨日の次男との電話によると、今日は日曜日にもかかわらず全員出勤しているとの事。 私が抜けた後の社員のハードワークが心配になる。 特に全員の牽引役をしている社員のKのことが気にかかる。 本当に健康な体に仕事がついてくると実感できるが、健康体である時には気が付かない のも事実だ。 明日の腸内造影検査のために今日は朝から流動食だが、説明書にチョコレート キャラ メルなどの固形物でないものなら食べてよいと書いていたので、早速売店に買いに行く。 しかし 手術のためにダイエットもしていることから、あまりたくさんは食べないよう に気を使いながら一個30KCalととなえつつ全部食べることとなる。 夜私の担当看護婦のSさんがやっと現れる。 自己紹介を兼ねて病気に対する気構えをとうとうと語る。 だいぶ上手になってきた、病気のベテランの卵くらいにはなったろう。 病棟内でも話しをする人が出来てきた。 誰が何の病気かわからないのでむやみに話し掛けられないが、ニコッと微笑んで、微笑 み返してくれる人は余裕のある人だろうと思って話し掛ける。 胃を手術した隣室の60台のHさん、デパートのペットショップのオーナーのKさんに は防犯カメラがほしいというので取引先の会社を紹介した。 私のベットは窓際ではなく廊下側にあるためいつも薄暗いので、この頃はいつもデイル ームで読書をしたりするようになった。 デイルームは明るくテレビもあり、テーブルが 8卓ほどある。 主に面会者との談話や食事に利用するところだ。 よる下剤が効いて数回トイレにおきる。 4月30日 火 手術7日前 大腸透視検査の日 検査時刻は午後2時 昨夜12時からまったく飲食していないため体に力が入らない。 食事時は同室者に気兼ねしてデイルームに避難する。 朝主治医のN先生が来たので外泊をお願いすると、「一旦入院した患者を外泊させるのは よくないんです」といいながらも看護婦と相談して許可をくれた。 早速智子に電話して検査後に迎えにきてもらう事とする。 13;30検査室に行く。 大腸透視後に心臓のエコー検査があるらしい、大腸透視はお尻からバリウムを入れるた め検査後おなかが張って苦しい。 心臓のエコーを先にしてもらいたかったが、大腸透視のほうが先になってしまった。 検査後すぐに帰宅の準備をはじめ病院のロビーに下りていくと、智子と次男が到着して いた。 車に乗る前に再度トイレに入りガスとバリウムを出しておく。 おなかがすいているのでクラッカーを買い車中食べながら帰る。 帰宅すると、長男と次男が月末締めの日報ソフトの確認をしてほしいというので事務所に 上がり確認してやる。 会社のソフトは私の自作品のため、いつも使っていない人には理解しづらい点がある。 夕食は好物のゴーヤチャンプルー。 大酒を飲むわけには行かないので、ワインを少々。 かっての酒豪ぶりに比較したらささやかなものだ。 しかしここしばらく一適も飲んでいないので少量のワインでもほんのりと気持ちよくなる。 夜は前日の睡眠不足と家にいる安心感からか熟睡。 5月1日 水 手術6日前 朝ゆっくり目覚めて、たいくなので智子の手伝いで銀行に行く。 帰るとシロアリ駆除の業者がきて家中が騒がしくなってくる、悪い日に帰宅した。 午後病院には一人で行こうと思い駅に行くと、M君夫妻が見舞いに駆けつけてくれた。 病院に着くとN先生が来て手術が5月7日に決定したことを伝えてくれる。 病室ではSさんとIさんが新しく入っている、70代の二人はすでに何度も入院歴がある。 Sさんは明日手術ということで、下剤を飲んでおり夜中におなかが張るといって何度も トイレにたって行き、12時頃まで寝付かれなかった。 5月2日 木 手術5日前 検査結果と手術予定の説明 午後1時智子が病院にくる。 今日は検査結果の発表とともに、手術の家族同意書を提出する予定日だ。 眠り姫の智子は時間がくるまで私のベットに横になり、看護婦が呼びにくると、あわてて 飛び起きた。 N先生と面談室に入る。 引続き麻酔医による説明がある。 「タバコを吸ってますか」 「長期間止めていましたが病気がわかって以来、頭に来てまたすっています。 」 「喫煙者は、手術後の痰排泄時非常な苦痛を伴います。 やめたほうが貴方のためですよ」 「わかりました、明日からやめます」 「今すぐやめて下さい」 といわれ、あえなく再禁煙となる。 これは後日手術後に実感することとなる。 その後 ストーマケアに関するビデオを見る。 この頃は死ぬのはあまり怖くなくなっていたが、ビデオを見たり看護婦の説明を聞いて いるうちに、今後長期間にわたって人口肛門の生活をしていけるのか、不安感に襲われ てきた。 夜8時頃から今日手術した同室のSさんが、タバコを吸えない苛立ちと術後の不快感か ら、看護婦を頻繁に呼び出して苦情を言い始める。 安静を指示されているにもかかわらず、喫煙室に行くといって聞かず、とうとう看護婦 に支えられて喫煙室に行った。 ついで睡眠薬1錠の指示にもかかわらず、いつも2錠飲んでいると言い出し、看護婦を 困らせている。 更に悪いことに、もう一人のIさんまでがサッカーを見ながら大きな声で応援を始めた。 本人はイヤホンで聞いているため、自分の声とテレビの声の大きさの区別がつかなく なっているのだろう。 もう一人の同室者のHさんとトイレで一緒になり、今晩の不幸を二人で悔やみあった。 私はテイッシュを耳に突っ込んだりして耐えていたが、ついに残りのタバコを持って喫 煙室に向かい、最後のタバコを名残惜しむこととなった。 5月4日(土) 手術3日前 パッチテスト ストーマ位置決定 パウチ用フランジを両面テープでとめることになるため、テープの材質が肌に 合うかどうか、かぶれないかどうかをテストする。 私は2社の製品の切れ端を腕に張り24時間後に判定した結果どちらも赤変せ づ、幸いどちらの製品にも問題がないことがわかった。 看護婦によると合わない人もよくあるとの事で、その場合使用する製品が制限さ れることになる。 次いで人工肛門の位置を決定する。 これは衣類の位置特にズボンのバンドに差し 支えない位置でかつ腹筋のある位置そして人工肛門を接続する腸の種類で決 定される。 私の場合は大腸末端となるため左側の臍の下でかつ腹筋のある部分となる。 看護婦と話し合いながら場所を決め油性マジックで印をつける。 5月5日(日) 手術2日前 手術用品準備 昼前に智子が来たので、売店で智子の昼食を買い一緒にデイルームで食事した。 今日は手術前に食べられる最後の普通食である。 一食ごとにこれが直腸を通る最後の食事と考えながらーーー。 指示された品を手術室用とICU用に分けて袋に準備する。 夕食 今日は子供の日。 折り紙の兜が食膳に乗ってきた。 かぶとを見ながら、 なぜか気持ちが落ち込んでゆく。 5月6日(月) 手術1日前 流動食 下剤 体毛剃髪 一番に風呂に入り、看護婦に指示されたとおりに脱毛剤を塗り30分後に洗い落とす がうまくいかない。 別の看護婦にもう一度やるからといってみてもらうと「Uさん 一人じゃ無理みたいですね。 毛深いから脱毛クリームの前にはさみで刈らないとい けません。 最近毛の少ない患者さんが多かったから看護婦が気が付かなかったんで しょう」といって手伝ってくれた。 今日は下剤を飲むために頻繁にトイレに行くことになるかもしれない、また手術前 の緊張で夜眠れないだろうと思い、同室者全員に迷惑をかけることを一応断ってお いた。 看護婦に、眠れないときは睡眠剤を飲んででも眠ったほうが良いかどうか聞くと 「Uさん 手術中と手術後は熟睡することになるから少々睡眠不足でも心配ない です」といわれたので眠れないでも心配しないことにする。 幸い12時頃の排便を最後に眠ることができた。 5月7日(火) 手術当日 熟睡していたらしい、看護婦に6時に起こされる。 シャワーを浴びる。 引き続き体重測定。 あわただしい。 パジャマから病院衣に着替えて、ベッドに横になっているようにいわれる。 7時智子到着。 睡眠剤注射。 7時30分 同室者に「行って来るよー」と強がって挨拶して手術室に向かう。 手術室の前で智子に「お別れのキスをして」といって断られる。 このあたりから、睡眠剤の効果と不安感からか頭がボーとしてくる。 手術室内で何かいわれたような気もするが記憶にない。 そして タイムトラベル 深い眠り 14時20分 目覚め ベッドの周りで声がする。 智子の「お父さん」 の呼びかけに 「お母さん」と答えたらしいが記憶にない。 ベッドが運ばれていく途中、妹の姿が入り口のところに見えた。 ICUの大部屋に運ばれ しばらくして後、ICUの個室に移される。 うっすらと外が見える。 S看護士がいろいろと説明してくれたところによると、私の体にはたくさんの管がつ ながれているらしい。 酸素吸入器 鼻から胃までのチューブ 栄養剤の点滴 心電図 血圧計 排尿カテーテル 排出液用チューブ 脊髄に痛み止めチューブ2本 しばらくして智子と妹が無菌服を着て入ってくる。 盲腸も切ったと教えてくれる。 直腸を切ると盲腸になりやすいらしい。 少し話をするとすぐ疲れる。 長居もできないので二人を帰して眠りにつく。 脊髄の痛み止めが効いているのだろう、終日うつらうつらとしている。 したがって痛みも何も感じない。 鼻から胃までのチューブはこの日にぬかれた。 時々寝返りを打ったほうが良いと言われるが、自力では傷が痛んで出来ない、何とか ベッドの柵をつかんで左右に寝返りを打つ 5月8日(水) 手術2日目 ICU内は終日人の出入りがあわただしい。 わたしはこの日もうつらうつらと眠っている。 テレビもないし本も読めないが別に 退屈を感じない。 N先生が来て手術は成功したこと、傷の治りも早いと言ってくれる。 S看護士が「夜は眠れそうですか」かと聞くので「睡眠剤はあまり使わないほうが 良いんですか」と言うと「睡眠剤を使ってでも良く眠ったほうが良いですよ」と いうのでそうしてもらう。 よく面倒をみてくれるS看護士に感謝。 腰が痛み始めたのでシップを張ってもらう。 5月9日(木) 手術3日目 病棟HCUに移動 午前中ICUを出て病棟のHCUに移動する。 手術前に見ていた顔が見えてくる。 痛み止めのせいか、手術以降ボンヤリとしている事が多い。 智子が「飼い犬のサンの顔つきに似ている。 何を考えとるの」 「何も考えていない。 」ぼんやりしているのもいいことだ。 まだ食事は出ない。 終日栄養剤の点滴を打たれる。 この点滴は1本600カロリー で一日4本使うと2,400カロリーとなる。 したがっておなかもすかないし、の どもあまり乾かない。 水は飲めないので口はゆすぐだけだ。 深い呼吸が出来ないので酸素吸入は続けていたが、指先に酸素測定器が付いている。 手触りが固いもので、コンと何かに当てると、モニターの波形が変化する。 しばらく看護婦に見えないように、測定器をベッドの柵に当てて遊んでいた。 この測定器は、測定結果を看護婦が確認してこの日にはずされた。 夜、看護婦が睡眠剤の要否を聞くので「一日くらい寝なくてもいいですよ」と言う と「いえ 寝てください」と言われ睡眠剤を打ってくれる。 おかげで熟睡。 5月10日(金) 手術4日目 腰が痛い あまりの熟睡に血圧も大幅に下がり、目覚めると指先がしびれているくらいだった。 今日は腰の痛みが激しくなり眠れない。 夜9時に睡眠材を打ってもらうが、看護婦 が見回りに来るたびに目がさめる。 結局12時には目がさめてしまった。 5月11日(土) 手術5日目 リンパ節への転移無しと判明 腰が痛くて、眠れない。 夜中2時頃腰のシップを貼替えようと思い、背中に手を伸ばし 2枚をはいだがまだ手触りがある。 おかしいなと思いながら剥ぎ取り、ふと見ると なんと大型のテープに注射針が2本刺さっているではないか、痛み止めの針だ。 あわてて元の場所に貼りなおしてよどんだ頭で考えてみる。 注射針が元通り刺さるわけは無いと思い、怒られるのを覚悟で看護婦を呼ぶ。 「Uさん、何をしてるんですか!」怒られた。 きまりが悪いので、 「痛み止めの薬はもう空になっているといってましたので、はずしてもいいですよ」 というと、はずしてくれた。 これで管が一本はずれたが、あとで後悔することになる。 夜中にはずした痛み止めはまだ効いていたらしい、結局眠れないまま朝を迎える。 朝一番でN先生がきて、リンパ節への転移はなかった、従ってステージ2であると 言いにきてくれた。 ほっと安心する。 腰の痛みを和らげる為に、ベッドを起こしてほしいが智子はまだ来ない。 昨日具合が良かったので、朝はゆっくり来ていいといったことを後悔する。 やむなく、看護婦を呼んでベッドを起こしてもらい、隠れて携帯で智子を呼ぼうと 思い、身の回り品を入れている紙袋を取ってもらう。 しかし携帯は袋の中になかった。 1時間ばかり紙袋を横に置いたまま呆然と時を過ごす。 智子と妹がきた。 「どうしたの。 ホームレスみたいに紙袋を横に抱いて」 私が説明すると。 「かわいそうに。 今日はゆっくりで良いなんていうから、ゆっくりして来たのに」 夜K看護婦がきて「Uさん、ゆうべは大変だったね。 今日は私が眠らせてあげる」 と言って、睡眠材を注入してくれる。 昨夜より強い薬だったのか、熟睡。 5月12日(日) 手術6日目 食事が始まる 昨夜の睡眠薬がまだ効いているのか、智子が来たのもわからないほど良く眠る。 今日から食事が始まる。 オモユと具の無い汁。 1分で食べ終わる。 食器を下げに行った智子が見られたのか、看護婦が「Uさん、7日ぶりの食事だ からもっとゆっくり食べてください」と言ってきた。 昼食と夕食はゆっくり食べるがそれでも早すぎると思い、御膳は時間を置いて下げ に行ってもらう。 パウチの処理も寝たままなので、便の処理はできないが、ガス抜きだけでも自分で する。 どのみち、食事をしていないので便は出ない。 腰の痛みもやわらいでいるので、今晩は睡眠材をもらわないようにしよう。 5月13日(月) 手術7日目 ドレンチューブ、点滴、尿カテーテルはずれる。 病棟HCUから病室に移動。 熟睡していた。 食事前に採血。 食事は3分粥となる。 朝一番でN先生が来てドレン(腹腔内の残滓吸い取り器、お尻の縫い目に差して いる)をはずしてくれる。 ドレンを抜いたあとははずした部分から残滓が出るので ガーゼを当ててくれる。 次は尿意テスト。 尿のカテーテルを途中で縛り、尿を流れないようにして、尿意をも ようすかテストをして、かつ排尿後再度カテーテルを差して残尿量を調べる。 2回テストをして、残尿量も規定値内であったので、尿のカテーテルをはずす。 夕方には栄養点滴もはずしてもらった。 これで体に取り付けられていた全ての管が 外れた。 点滴中は不思議と食欲も無く、またのどの渇きもあまり無い。 管が外れたので、立ち上がる練習をする。 立つと、すーと血が引いていく。 歩くどころじゃない。 10回ほど足踏みしてベッドに倒れこむ。 手術中の出血で ヘモグロビン値が30%マイナスとのこと。 午後何とか部屋の中を1週した。 今日から自分で便の処理をしてみる。 パウチは術後用のもので先に丸い排出口が付いている。 ベッドの上に新聞紙を広げ、ビニール袋、使い捨て手袋、消臭スプレーを用意して 排出するが、黒い軟便が出る。 とにかく臭い。 この匂いと一生付き合わねばならないのかと思うと気がめいる。 近くの工具屋にガスマスクを買いに行かせる。 それでも臭い。 2時間毎にガス抜きをする。 夕方7時ころにこれでもう眠れると思っていると 看護婦がまだ便を出し切っていないので、8時頃にもう一度出すと言う。 8時頃になってみると、なんとパウチの8割くらいたまっていた。 熟睡中にパウチが破裂すると大変なことになる。 10時、傷が痛いのを我慢してトイレに椅子を持ち込み、腰掛便器に直接排出して みる。 ポチャンと水がはじいて床を汚した。 傷が痛いので掃除も大変だ。 11時、今度は腰掛便器の端に腰掛けて低い位置で排出。 5月14日(火) 手術8日目 廊下を歩く 立って歩こうとすると目眩がする。 少し横になって再度立ち上がる。 手術後初めての洗面をする。 食事は5分粥。 朝食後思い切って配膳を下げに行く。 その足で元の大部屋のHさん、Iさんに挨拶に行き、少し話をする。 部屋に戻るとすごく疲れていた。 お尻の穴は良くふさがっているようで残滓も出ないので、小型のガーゼに変わる。 座りやすくなったが、まだお尻が痛むので、円座を借りて座る。 社員が見舞いにきた。 仕事の打ち合わせをする。 午後、フランジとパウチの交換をしてもらう。 私にとって初めてなので良く説明を 聞きながら、交換してもらう。 自分でも臭いのに看護婦さんには頭が下がる。 夕食後、お尻のところが湿っぽくなったので、汗をかいたと思い立ち上がると足元 にピンク色の液体がポタポタと落ちる。 ベッドを見ると一面ピンク色に染まっている びっくりして床を掃除して看護婦を呼ぶ。 出切ったと思っていた残滓が出てきたのだ 何かあったのかと心配すると、看護婦は心配ない、出るものは全部出しておかないと お腹の中で化膿するという。 少々のガーゼでは心配なので寝る前にオムツをしてもらう。 5月15日(水) 手術9日目 食事7分粥 夜明け前、お尻のガーゼが濡れたので交換してもらう。 朝の回診時N先生に残滓が出たことを言うと、「良いことです。 なるべく全部出さ ないといけません。 逆行感染を防ぐ為、ガーゼが濡れたら頻繁に取り替えてもらっ てください」 「無理に歩いたのがいけなかったんですか」 「いいえ、あまり無理な格好をしなければかまいません」 残滓は血液と体液の混じったもので、出血と思えるため心配して神経質になってい たが話を聞いてほっとした。 昨日フランジとパウチを交換後便が出ない。 それまではだらだらと間断なく出てい たので心配していると昼前に出始めた。 トイレに行き、便器に落とすと、なんと色も黒から黄色に変わり、しかも昨日まで の強烈な匂いではない。 よかった、一生あの強烈な匂いに悩まされるわけではないら しい。 看護婦に聞くとあれは宿便だったとのこと。 午後2時の回診で経過良好といわれほっとする。 夕方N先生が来て 「リンパ節への転移は無いと言いましたが、一応進行ガンであるので、抗癌剤の投 与を検討しなければいけませんね。 どれも、まだ効果がはっきりしているわけでは ないんですが。 」 「すべて、先生にお任せします」 「私の独断で決めるわけにはいきません。 」 「副作用の問題ですね」「そうです」 「それなら、私が判断する必要がありますね。 後日話を良く聞かせてもらって決め て良いですか」「はい」 5月16日(木) 手術10日目 抗癌剤選定 眠れない。 何もしていないんだから3時間も眠ればよいだろうと思い込ませる。 傷の痛みも少しづつ取れていっている。 起きてすぐ、廊下を100mほど歩き、頭が痒いので洗髪室で頭を洗う。 体も今までは看護婦が拭いてくれていたが、今日は自分で拭く事にする。 大便をためるパウチが透明な為、だらしない格好をすると廊下から見えるので、ビニ ール袋を鋏とホッチキスで加工して袋を作り、書類クリップでパウチにとめる。 良い出来だ。 退院後の服装について智子と考える。 どうもズボンのバンドの位置がストーマと 重なるような気がする。 「バンドは臍の下だよな」「そんなことは無い、臍の上よ」 智子がTシャツを捲り上げ見事な2段腹を開いた。 「その2段腹のくぼみのところだが、俺にはそんな見事なくぼみは無いから、やはり ズボンがずり落ちるよ」 それからは、妹と3人で2段腹を話題に大爆笑。 腹の傷が痛い。 しばらくして、従兄弟が見舞いに来て、いろいろなネタでまた大笑い。 「見舞いに来たのか、笑わせて傷を拡げに着たのか、早く帰ってくれ」 夕方、以前の病室のIさんと、Hさんが来てくれる。 抗癌剤の件で相談したので 現在抗癌剤で治療中のHさんと一緒にきてくれたのだ。 Hさんから治療の方法、副作用など詳しく話を聞いた。 夕食前にN先生が来たので抗癌剤について話を聞く。 「2個あったポリープも取り除いているので、抗癌剤は予防的なものでいいです。 お酒も飲むでしょうから5FU系の錠剤で副作用も軽いもので良いと思います。 日常生活にもあまり影響はありません。 この病院に薬を取りに来るのは大変で しょうから、田川の病院で薬をもらえるように手紙をかいてあげましょう。 」 5月17日(金) 手術11日目 ガス抜き穴付きの装具を試す 昨日まではベッドから立ち上がるのに、ベッドの背もたれを起こさなければなら なかったが、今日は背もたれを起こさなくても立ち上がれるようになった。 体調も徐々にだがよくなっており、歩くのも楽になる。 ただ尿の出方が昼夜逆になっており、夜のほうがたくさん出る。 出た尿を計量器に入れねばならず、もたもたしていると眠気が覚めてしまう。 午後、2回目の装具交換をする。 今度はコロプラストの装具を試してみる。 活性炭フィルター付きのガス抜き穴が 付いているもので、わざわざガス抜きをしなくてすむ。 おかげで装具の手入れが便だけで良いようになり、だいぶ楽になる。 5月20日(月) 手術14日目 排尿後の痛みが気になる 日ごとに歩行も楽になり、ベッドの寝起きも普通に出来るようになった。 臀部からの出血(残滓)もなくなっている。 ただ排尿後に膀胱付近が痛むのが気になる。 排便の処理も低い位置でしないと便器の水がはね飛んで困っているが、智子がトイ レットペーパーを敷いたらと言うので、少し大目のトイレットペーパーを水に浮か べて便を落とすと水がはねないことがわかった。 これで公衆トイレ等も使えるだろう。 パウチの先も今までは神経質に洗わなければ気がすまなかったものが、濡れたテイ ッシュで拭いただけで気にならなくなる。 日々進歩している。 今日は装具の交換日。 看護婦の要請で智子も一緒にトレーニングを受ける。 だいぶ上手に出来るようになった。 5月21日(火) 手術15日目 抜糸 早朝デイルームで、一人の老婦人Iさんと話し始める。 天気の話に始まりやがて御互いの病気のことについて話し始める。 Iさんは昨年末に入院、4度の手術の結果小腸にストーマーを付けている。 入院以来始めての同病者である。 上品で聡明な話し振りの陰に激烈とも言える闘病生活を秘めておられる。 私の病気のことを話すと、同じ立場と言うことで、とても喜んでいただいた。 午後N先生がきて処置室で腹部と臀部の抜糸をしてくれる。 痛いかと思ったが 痛みはほとんど無かった。 ストーマー部も違和感があるならば抜糸をするが そうでないならば、溶ける糸を使っているのでそのままにしておくと言われる。 私は違和感を感じなかったのでそのままにしておくことになった。 夕方売店に行き、先日注文しておいた装具を購入する。 退院後ストーマの寸法が徐々に変わってくるのでとりあえず2ピースのものを 10セット、剥離材、皮膚保護材、サニーナ、専用洗剤、鋏などを買う。 5月22日(水) 手術16日目 退院日決定 N先生から24日にも退院してよいが、その日にパウチの交換があるので、週明 けの27日に退院してよいといわれる。 5月23日(木) 手術17日目 シャワーを浴びる 先週末大阪に帰っていた妹が又きてくれたのでシャワーを浴びることにする。 シャワールームで倒れたりしたら大変と思い、注意してはいる。 実に17日ぶりのシャワー 気持ちが良い。 パウチはゴムひもでくるくると丸めて、体を洗いやすくしておく。 5月24日(金) 手術18日目 一人で装具交換をする 今日は病院での最後の装具交換日だ。 この病気の退院可否は、装具交換が出来るかどうかに掛かっている。 ストーマ周りの体毛を剃る為にT字かみそりを買っておく。 フランジ取り付け時に 体毛があると接着度、またフランジをはがす時に問題があるらしい。 午後4時、排便がある時間帯をはずしてシャワールームに入り、あらかじめパウチ の排便を済ましておき体を良く洗う。 次にパウチをはずしてストーマー周りにシャワーをかけて洗う。 フランジの上部からシャワーをかけながらゆっくりとフランジをはがす、この時 フランジを無理に引っ張らず一方の指でフランジを少し引っ張っておき、もう一 方の指で肌を押すようにしてはがしてゆくと、肌をいためないらしい。 取り外したパウチやフランジは用意していたビニール袋の中に入れる。 タオルの先に石鹸をつけてストーマ周囲に付いたフランジの接着剤を入念にはがす。 シャワーがストーマーに当たるが、痛みなどは感じない。 体を拭きストーマにテイッシュを当て紙テープで止めて、服装を整え処置室に行く。 先ほどつけたテイッシュが肌に張り付いており失敗。 看護婦によるとコットンの 方が良いとの事だ。 装具は入院中も個人負担との事なので、今日は昨日買った装具や補助材を持参。 ストーマ下部の下着に大き目のビニール袋を挟み込みゴミ袋とする。 試験官のT看護婦に清掃状態を見てもらうと、まだ接着剤が残っていると言われた。 剥離材で再度清掃する。 専用洗剤をコットンに少しつけて塗り、ストーマ周囲の体毛を剃る。 女性用のかみ そりの方が良いとの事。 鏡を見ながらの作業なので難しい。 温水で洗剤を洗い流し、コットンでふき取って乾燥させる。 ノギスでストーマの大きさを縦横測定しその寸法に4mm加えて、フランジに マジックでストーマの大きさを描く。 鋏で描いたラインを切断すると、ストーマ周囲に2mmの隙間の穴が出来る。 切断部分の切りくずを指先でよく擦って滑らかにしておき、ストーマに当ててみて 大きさの確認をする。 ストーマ周囲が良く乾燥していることを確認して、皮膚保護材を塗り、2分乾燥。 パウチに排出口のストッパーを取り付け、サニーナ(オリーブ油、サラダ油でも 良いらしい)を吹き付けておくと、便がスムースに下に流れる。 鏡を見ながらフランジを下部から貼り付ける。 ストーマとの周囲の隙間は2mm だが、下に隙間が多いよりは上に多いほうが良いらしい。 貼り付けたフランジは中央部分から周囲にかけて良く押し付け肌に密着させる。 フランジにパウチを取り付け、接合部を充分に確認し、なおかつフランジを片手で 支えておきパウチをひっぱて見て外れないかどうか確認する。 試験官の看護婦に良く出来ましたといわれ、卒業試験は無事終了した。 5月25日(土) 手術19日目 大先輩発見 隣の病棟に2年前便と尿の両方のストーマをつけ、現在放射線治療中のFさんが いる。 早速話を聞く。 「便のストーマは楽ですよ。 尿の方は1日に出る回数も多い し、漏れたりもするので大変です。 」 「食事の心配はどうですか?」 「何を食べても良いです。 酒も飲んでました。 剥離材も皮膚 保護材も使っていません。 入浴時にタオルに石鹸をつけてよく洗い落とせばフラン ジの接着剤は取れます。 」 「便を排出後、パウチに便がついているのが気持ち悪いんですけど」 「私は、便の排出後排出口から水を入れてパウチを洗ってます。 そのためにトイレに 水を出す装置をつけました。 」 等等非常に参考になる話を聞かせてもらった。 ただ防臭フィルターの部分は水をかけると悪いと聞いていたので、パウチの上部に あまり水が入らないように気を付けた。 その分防臭フィルターの部分についた便は 取れないままだ。 何か良い方法は無いものだろうか。 午後智子と病院近くを1Kmほど散歩する。 夕食前に智子、妹、次男、三男と外食に出る。 妹が「お兄ちゃん、病院にいる間に いろいろと実験しておいたら良い」と言うので、餃子 おでん おにぎり そして ビールをコップ2杯ただし量は病院の食事と同じくらいにしておく。 医者には聞かせられない話だ。 夜9時猛烈に眠くなってベッドに入るが12時頃目がさめる。 なんと下痢だ。 胸焼けもする。 ただしお腹は痛くない。 何が悪かったのか、油っこい餃子か ビールか。 さいわい朝には直っていた。 5月26日(日) 手術20日目 病棟内の患者たち 病棟内のデイルームと喫煙室は5階の北と南の病棟あわせて100名くらいの 患者が利用している。 この頃になると多数の患者と話をするようになった。 大多数の患者がガンの治療のために入院している。 自分がガンであることを知っている人、知らない人、さまざまな人の苦痛と希望が 一見静かな病棟内に白ペンキと黒ペンキを混ぜたような模様を描いて渦巻いている。 話を聞くに耐えないような絶望感にさいなまれている人。 私も含めて、表面上は明るく振舞っている人。 絶望の中にわずかの光でも見つけるように明るく振舞っているもの同士が集って つかの間の笑い話に興じて一刻を忘れる。 まるで夜の闇が伴ってくる死の恐怖から逃れるかのように追い求める深い睡眠。 しかし、たとえ一刻でも忘れたい、考えたくないと思う患者の望みに反するかの ように情け容赦なく襲ってくる不眠の嵐の後に訪れる患者同士の朝の挨拶はよく 眠れたかどうかの話から始まる。 皆一様に少しでも快方に向かっていると思えば素直に喜び、少しでも悪ければ嘆き あう。 同じストーマ増設者のIさんは高齢でもありまた半年に及ぶ闘病生活で、知り合っ た時は医者を恨み、看護婦を恨み、自分の不運を恨む話から始まった。 私もIさんほどではないが、自分の受容力いっぱいの不安を抱いている。 Iさんと一緒に落ち込みそうになる自分が不安で、次のような話をIさんにする。 後日智子にこの話をすると、キリスト様みたいなことを言っていると笑われた。 「Iさん。 他の患者又は世の中にいる自分より不幸な人と比較して、私はまだ良か ったと思うのもひとつの方法かもしれないが、これでは自分より不幸だと思われ た人に申し訳ないことです。 それよりか全ての人が悩みを持っており、その悩み はそれぞれの人において同じ重さを持っています。 Iさんと私はこの病気が悩み であり、あそこにいる見舞いに来た健康そうな人は子供の教育のことで悩んでいる かも知れません。 そしてあの人にとってその悩みはたまらなく大きなものです。 人間一人一人がそれぞれの悩みを持っており、その重さは全ての人に同じ重さ なんです。 そして皆がその悩みから開放されようと懸命に努力しているんです。 私たちもこの病気が早くよくなるようにがんばりましょう。 」 と私は自分に言い聞かせるように話を創作したところ、Iさんはとても喜んでくだ さり、以降退院まで毎日のように話し相手なって下さった。 そのうちIさんと同じ病室のFさんも加わり御互いに励ましあうようになった。 この話の中に根橋さんの手記にある、ある会での引用句も紹介した。 「人間皆その人の寿命は定まっており、どうあがこうとその長さは変えることは出 来ない。 大事なことはゴールまでの時間をどのように生きるかと言うことだ。 」 入院の時私は根橋さんの手記を印刷して持参していた。 これをIさん、Sさんに お貸しして大いに参考にしてもらった。 そして退院後もこれが少しでも役に立つな らばと思い。 病棟に残していくことにする。 (根橋さん了解済み) 5月27日(月) 手術21日目 退院 車の運転 午前9時病院の会計伝票が届いたので智子が清算にいく。 30万円ほどの請求が きていた。 清算伝票をナースセンターに渡し退院許可となる。 帰る前に病棟内で知り合った患者たちに挨拶をして回り、皆に退院を喜んでもらう。 帰宅前に抗癌剤を処方してもらうY病院に立ち寄る。 Y病院は家の近くの病院で最初に直腸ガンを見つけてもらった病院だ。 医療センターのN先生からもらった医療経過書を読んでもらい、簡単な診察の後抗癌 剤を処方してもらう。 あわせて今後の検査予定を聞く。 Y先生は若い頃ストーマ増設手術をしており、必要に応じてストーマのケアや洗腸 指導もしましょうと言ってくれた。 調剤薬局に抗癌剤の在庫が無いと言うことなので午後改めてとりに行く。 抗癌剤は5FUを6ヶ月の予定で服用する。 あわせて胃薬と、整腸剤を処方された。 自分で車を運転していくことにするが不安なので妹に同乗してもらう。 5月29日(水) 手術23日目 自宅での始めてのフランジ交換。 事務仕事再開。 ホームセンターに行き、トイレの洗浄用ノズルを買ってきて給水パイプに取り付ける 今まではペットボトルに水を入れたものでパウチを洗っていたがこれで楽になる。 する間ストーマの寸法を測りフランジの穴を鋏で切り欠く。 日々ストーマが 小さくなっていく。 仕事も事務作業がかなりたまっているので無理ならない程度に事務所で仕事をする。 取引先にも少し強がって、大丈夫ですと言った為か、電話もかなり掛かってきだした。 6月3日(月) 手術27日目 犬の散歩に行く。 退院語一週間はあまり過激な動きをしないように自分に言い聞かせておいたが。 今日は1週間過ぎたことでもあるので、犬の散歩に30分くらい遠出をする。 こけないように注意して歩く。 犬に引っ張られてストーマをつぶしたら大変だ。 6月5日(水) 手術29日目 日本オストミー協会 このところ毎日インターネットで人工肛門関係の記事を探している。 昨日、日本オストミー協会に入会申請をしておいたら、今日この地区の支部長さん から電話があり、7月7日に私の住んでいる町で勉強会があるから参加してはとさ そって頂いた。 6月14日現在排尿後の臀部の痛みも無くなり、歩行速度もほぼ平常並に戻りました。 手術後約1月が経過して、軽い事務作業を行っていますが、来月からは現場でも重労働 を除いて、手術前の仕事に戻りたいと思います。 今からの心のもちようが将来を決める ものと考えています。 手術に当たった医師、看護婦さん達、家族、病棟内の友人たち、 そしてネット上で多大な励ましを与えていただいた、皆様に感謝いたします。 「私たちに出来ることは「なぜ、こんなことが起こったのか?」という問いを超えて 立ち上がり 「こうなった今、私はどうすればよいのか」と問い始めることなのです」 ハロルド S クシュナー 6月20日(木) 手術後1月半 術後診断 術後検査予定決定 今日は手術後初めての診察の為医療センターに行く。 ストーマの診察もあるかと 思い、早く起きてシャワーを浴び、パウチを交換する。 診察時にパウチ内が汚れていてはと心配し、シャワー直後にデジカメでストーマ の写真をとって印刷して持参する。 朝9時の予約になんとか間に合う。 受付を済ましトイレでパウチ内を確認している 間に名前を呼ばれたらしい、待合室で座る間もなく診察室に呼ばれる。 主治医のN先生の問診のあとで、術後の検査についてネット上で調べた検査項目の 一覧表を提示して、先生の意見を聞き今後の検査予定を確定した。 注腸X線検査 年1回 多発癌 10%可能性 大腸内視鏡検査 年1回 多発癌 10%可能性 腹部超音波検査 6ケ月に1回 次回11月 肝臓、大動脈周囲リンパ節転移 胃カメラ 年1回. CT 6ケ月に1回 次回11月. 6月21日(金) トラブル パウチが外れる 夕方フランジを交換、夕食後排便が始まってしばらくした頃、異変に気づく。 そっとパウチを見ると、フランジとの接続部で外れているではないか。 急いでトイレに駆け込み、パウチを外して付け直そうとするが、接続部が汚れて いる。 トイレットペーパーでふき取るが、その間にも排便は続く。 ストーマ部を 便器の上に置いた状態で、手はパウチとフランジの掃除と大変 大変。 何とかきれいにしようと、パウチ洗浄用のノズルでストーマとフランジに水をかけ ていると、水が着衣にかかる。 なんとかすませ再度シャワーを浴びて着衣を交換した。 この失敗はこれが初めてではなく、この1月で3度目だ。 前の2回は排便が無い状態であったので、留めなおすだけで済んだが、原因は 1. アシュラロックパウチのロックが外れる。 接合部が良く収まっていなかった。 この2点であろうと思われる。 対策は接合部の確認と、ロックが簡単に外れないように ロック部をテープで固定する、そして最後に引っ張りテストを丁寧に行うこととする。 場合によっては、運動の激しい時にはワンピースタイプを使わねばならない事もあるか もしれない。 ストーマの会の時にでもみんなの意見を聞くことにしよう。

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