思い出のマーニー 感想。 思い出のマーニーは怖い!?感想や評判を調査!

思い出のマーニー の レビュー・評価・クチコミ・感想

思い出のマーニー 感想

こんにちは、まりです。 ジブリの人気作品である 『思い出のマーニー』。 心を閉ざしている少女が主人公。 最後まで見ないと謎が解けない物語です。 この作品の見所は、この 少女たちのストーリーと 美しい映像。 私は何回見ても泣いてしまいます。 他の人の反応はどうなのか気になったのでググりました。 外国人と日本人の感想が全然違って面白いなぁと思ったのでまとめました。 注意!この先ネタバレがあります! 『思い出のマーニー』外国人と日本人の感想は?全然違って面白い! 海外の反応 海外の反応はこちらです。 信じられないほど美しいアニメだ• 少女の人生を暗くならないように描いていて子どもから大人まで楽しめる• 美しい映像と物語で何度も泣いた• 見事なアニメーション!• 子どもよりも大人向けの作品だ• 子どもには難しくてわからないだろう• 日本人は百合の物語といっているらしい• これは同性愛の物語か?• 映像が綺麗で素晴らしい• 何度見ても泣ける• 主人公に共感できる など 日本の反応 日本人の反応はこちら。 この映画の良さがわからない人は幸せな人• 悪くないけど良くもない• ジブリと聞いてみたけど残念• 内容が幻想的で不思議な感じで見ていましたが最後は想像とは違っていて良い方に進んでくれて感動した• 無償の愛に泣ける• わけがわからない• 親子について考えさせられた• 子どもの時にはわからなかったが、大人になるにつれて見方が変わった。 素晴らしい作品• すれ違いが切ない• 最後に謎が解けてスッキリ など 『思い出のマーニー』が百合映画とわれる理由 百合映画(レズビアン映画)と言われる理由は大きくまとめて2つ。 過度なスキンシップ• 思春期の少女2人を魅力的に描き分けている マーニーが積極的に抱きしめたり「大好き」だと杏奈に愛情を示しています。 そういったスキンシップのシーンが多いことで百合っぽいと思われたのかもしれませんね。 心を開いて大人の階段を上る少女。 繊細でデリケートな少女の心情を丁寧に描かれています。 『思い出のマーニー』ジブリどんな作品? ジブリの『思い出のマーニー』の情報です。 スタジオジブリによりアニメ化• 2014年7月19日に公開• 主題歌:プリシラ・アーン「Fine On The Outside」(ヤマハミュージックコミュニケーションズ) キャスト• 高月彩良:佐々木杏奈 役• 有村架純:マーニー 役• 松嶋菜々子:佐々木頼子 役• 大泉洋:山下医師 役• 森崎博之:美術教師 役• 白石春香:みよ子 役• 寺島進:大岩清正 役• 根岸季衣:大岩セツ 役• 杉咲花:彩香 役• 石井マーク:武 役• 黒木瞳:久子• 頼経明子:信子 役• 安田顕:十一 役• 音尾琢真:町内会役員• 森山良子:晩年のマーニー• 吉行和子:ばあや• 甲斐田裕子:マーニーの母• 戸次重幸:マーニーの父• 石山蓮華:絵美里 あらすじはこちら。 札幌に住む12歳の少女 佐々木杏奈は、実の両親と祖父母を幼少期に失い、里親である 佐々木頼子に育てられている。 しかし、ある出来事から頼子のことを「おばちゃん」と呼び、感情を表に出さなくなっている。 ある日、学校の写生の授業でひとりスケッチをしていた杏奈は、持病である喘息の発作を起こし、そのまま早退して主治医の 山下医師に診断してもらう。 そこへ鞄を届けに来た同級生たちの態度から、頼子は杏奈が学校で孤立していることを察する。 不安を隠しきれない頼子に山下医師は、杏奈を環境のいいところでしばらく療養をさせることを提案する。 数日後。 夏休みの間だけ、頼子の親戚である 大岩清正・ セツ夫妻の家で過ごすことになった杏奈は、札幌から特急列車で海辺の田舎町へ向かう。 大岩家に着くと、杏奈は荷物の中に複数枚のハガキと「何でもいいので、あったことを書いて下さい」と書かれた頼子からの手紙が入っていることに気づく。 仕方なく手紙を書いた杏奈は、ハガキを出すため郵便局へ行くが、人が近づいてくるのを見てその場から走り去る。 逃げた先の入り江で、杏奈は古い屋敷を見つけなぜか「知っている気がする」と直感的に感じる。「湿っ地屋敷(しめっちやしき)」と呼ばれるその屋敷は廃屋に見えたが、杏奈はその後、夢の中で何度も屋敷を訪れ、隅の部屋の中に金髪の少女を目撃する。 翌日、セツの紹介で近所に住む杏奈の一つ年上の 信子とともに七夕祭りに参加することになった杏奈だが、信子の馴れ馴れしい態度に内心では余計なおせっかいだといら立っていた。 その祭りで、願いごとを書くように渡された短冊に、杏奈は「毎日普通に過ごせますように」と書く。 その短冊を見た信子から「普通」の意味を必要以上に聞き立てられたことと、目の色について聞かれた杏奈は腹を立てて思わず、信子に向かって「太っちょ豚」と叫んでしまう。 我に帰り、信子から「普通なんてない。 周りはあなたが思ってるように見えているだけ」と言われて焦った杏奈は、湿っ地屋敷がある入り江へと逃げ去る。 そこにあったボートで屋敷を目指していた杏奈だが、途中でオールが動かなくなってしまう。 それを助けたのは、杏奈の夢の中に出てきた少女だった。 湿っ地屋敷に住んでいるというその不思議な少女は、自分たちのことを永久に2人だけの秘密にしてほしいと杏奈に懇願する。 杏奈も笑顔でそれを引き受け、2人は仲良くなった。 それ以来、杏奈は マーニーと名乗るその少女とともにピクニックやパーティーを楽しむ。 普段は感情を表に出さない杏奈でも、マーニーといるときだけは表に出すことが出来るのだった。 しかしある日、突然マーニーは杏奈の前から姿を消す。 さらに、湿っ地屋敷には新たな住民が引っ越してくる。 杏奈は、東京から湿っ地屋敷に引っ越してきた少女 彩香から、この家で見つけたというマーニーの日記を見せられる。 自分が体験したマーニーとの思い出が書かれたその日記を見た杏奈は、マーニーのことを自分が想像で作り上げた友達なのだと思うようになる。 杏奈はマーニーの正体を疑問に思いながらも、ふたたびマーニーと出会い、互いの悩みを打ち明けあう。 そして杏奈はマーニーが幼少期のトラウマからサイロを恐れていることを知ると、それを克服するために、嵐が来る中2人でサイロに行く。 2人は疲れ果てサイロの中で眠るが、杏奈が目覚めるとそこにはマーニーの姿がなかった。 夜のサイロに置き去りにされてしまった杏奈は怒り悲しみながら、嵐の中を走り続ける。 杏奈は発熱を起こして倒れていたところを彩香たちに助けられ、うなされながら見た夢の中で再会したマーニーから突然の別れを告げられ、許しを求められる。 彼女のことが大好きな杏奈はマーニーを許し、永久にマーニーの存在と、彼女と一緒に過ごしたことを忘れないと約束する。 するとマーニーは、微笑みながら白い光の中へと消えていく。 サイロのことを何も覚えていない杏奈に、彩香が日記とともに見つけたという「to Marnie from Hisako」と書かれた湿っ地屋敷の絵を見せる。 久子とは、以前杏奈が知り合った画家の老婦人の名だった。 杏奈は、マーニーの友人だったという久子の話から、マーニーの生涯を知る。 幼いころから両親や家政婦に冷たく接されていたマーニーは、その後札幌に移り住み、幼馴染の 和彦と結婚した。 2年後、一人娘の 絵美里が生まれるも和彦が病気で亡くなり、マーニー自身も心身を壊してサナトリウムに入る。 そのため絵美里は物心つくころに全寮制の小学校に入れられ、その影響で13歳で戻ってきたときには母のことを恨んでいた。 その後、絵美里は家出をし、結婚した彼女は子供を産むが、夫婦揃って交通事故で命を落としてしまう。 絵美里の娘は年老いたマーニーが引き取り、たくさんの愛情を注いで育てていたが、翌年マーニーは病気で亡くなる。 マーニーの生涯を話し終わった久子は、「あなたもマーニーに会ったのね」と杏奈に囁くのだった。 大岩家に杏奈を迎えにきた頼子は、杏奈の療育費の補助が自治体から出ていることを杏奈に話し、2人は分かり合う。 そして杏奈は頼子から、幼い杏奈が大切にしていた杏奈の祖母のものだという湿っ地屋敷の写真を受け取る。 杏奈は、写真の裏に「私の大好きな家 マーニー」と書かれていたことから、マーニーが自分の実祖母であることに気づき、涙を流す。 その後、頼子とともに札幌の自宅へと帰還中、杏奈は湿っ地屋敷の窓から自分に向けて手を振るマーニーの姿を目撃するが、それは風に揺らぐカーテンの見間違いだった。 引用: 『思い出のマーニー』原作は? 原作情報• 原題:When Marnie Was There• イギリスの作家、ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学作品• 初版は1967年にイギリスの出版社コリンズより出版され25万部を売り上げた• 1968年にカーネギー賞の最終候補にノミネート• 1971年にBBCの長寿番組であるJackanryでテレビ化 ジブリは、この 原作を改変して作っています。 見比べてみるのも面白いかもしれませんね。 合わせて読みたいジブリネタはこちら。 家族で動画見放題を見たい人は、こちらの記事もどうぞ。

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映画『思い出のマーニー』あらすじネタバレ!評価感想と口コミレビュー!|MoviesLABO

思い出のマーニー 感想

ネタバレ! クリックして本文を読む お話は主人公の『自分大嫌い』発言から始まり 説明不足なまま田舎に預けられる事に。 しかし性格破綻者な主人公は心優しい人とも馴染めず 自爆気味に追い詰められていく そんな中 見えたり消えたりする謎の少女 『マーニー』と友達になる はたして、その正体は夢なのか、空想なのか と言った物語 その正体は不明なまま終わるが マーニーとは主人公の祖母だった、というもの。 実際幽霊であったのか、主人公の記憶から呼び起こされた妄想であったのかは謎なままエンディングを迎える。 実際には 『触れられるし』 『他の人も見てるし』で 『実態として存在している』様に見えてくる その為 ・別の世界と繋がっているのか、とか ・主人公の空想が実体化したのか、とか SFな展開を予想すると 『何故か見えてただけの死んだお婆ちゃん』でガッカリしてしまう。 監督が別の人であれば楽しめたと思う作品 ネタバレ! クリックして本文を読む 本当の両親が死んで養子、喘息持ち、言いたいことが言えない …そんな設定の女の子はふとっちょぶたと会ったばかりの人に言えないだろう。 それなのにひとりで、嗚呼、なんて不幸なわたくし…みたいな顔をしている主人公が見ていてただひたすら痛い。 あのわりと序盤のふとっちょぶたシーンさえなければ、育ての親との関係に悩み、内気で病気がちな自分を嫌うひとりの少女として見守ってあげたいという気持ちのひとつでも芽生えたはずだ。 しかし、面と向かってふとっちょぶただなんて…それ言えるんなら、最初からもっと強く生きていけよ…とツッコミたくなってしまう。 マーニーとの異国情緒溢れるパーティーのシーンと湿っち屋敷のデザインはとてもよかった。 マーニーママがキセルを吸っていたのも、オードリーヘップバーンのようで印象的。

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思い出のマーニー の レビュー・評価・クチコミ・感想

思い出のマーニー 感想

脚本・監督。 1967年に発表されたジョーン・G・ロビンソンによる同名イギリス児童文学を、スタジオ・製作で長編アニメーション化した。 映画化にあたって、舞台をイギリスから日本の北海道に置き換え、主人公の少女アンナを杏奈にするなどの変更を行った。 両親を亡くし、北海道札幌市の養父母のもとで暮らす少女・杏奈は、いつのころからか周囲に心を閉ざしてしまっていた。 あるとき持病の喘息の発作に見舞われた彼女は、主治医の薦めもあって、道東の小さな漁村の大岩夫妻のもとで療養することになる。 大好きなスケッチに出かけた杏奈は、入江の向こう側にある古めかしい屋敷を見つける。 地元で「湿地屋敷」と呼ばれるその屋敷は、いまは空き家になっていると教えられる杏奈だったが、七夕の夜、彼女は湿地屋敷でマーニーと名乗る不思議な少女に出会うのだった……。 舞台が日本であること。 サブキャターである翔のモーグで映画がはじまること。 タイトル・テロップが挿入されるタイミング。 果たして、本作はどうだったか。 そして本作は、前作で僕がはばかりながらここそこがダメだなぁと感じられた部分が格段にブラッシュアップされていて非常にうれしかった。 つまり、結論からいえば、本作『』は、瑞々しくとても素敵な映画として完成していたのである。 杏奈が暮らす札幌でのやりきれない日常の世界から列車で道東の町へ、そこから大岩夫妻の運転する自動車で入江の漁村へ、大岩家での杏奈の部屋、そして湿地屋敷の発見と、何層にも階層を分けて少しずつ彼女が「異界」へと足を踏み入れるようすを描いている。 いくつものエピソードと背景美術をとおして描かれる前半部の移動シーンは、原作小説における描写よりもグッと厚みを増しており、映画の世界により一層の存在感を与えていて見事だ。 また、主人公の杏奈も愛すべきキャターだ。 前作『』での問題点のひとつに、主人公がなのか、それとも病弱な少年・翔なのかがはっきりとしていない点が挙げられるが、それを踏まえてか、本作では杏奈=主人公としてきちんと映画が構築され、彼女についても映画は丁寧に丁寧に描写を重ねてゆく。 両親を失い、養父母のもとで暮らす杏奈は、いつのころからか周囲に心を閉ざして、ひとりで「皆の輪の外側にいる」ことに自ら望んでいる。 これは杏奈が周囲の様子をとっさに察知して空気を読みすぎてしまうだけであり、それができてしまうのは彼女が周囲よりもちょっとばかり繊細で敏感な心を持っているからだ。 だからこそ、状況に対して落ち着いた対応もできるし、その的確すぎる分析眼ゆえに「まわりも嫌いだけれど、そう思っている自分がいちばん嫌い」という自己イメージを持ち得てしまったのだ。 杏奈が迷い込んでいる、この袋小路のような状態を、映画は彼女の必要最低限のモーグと小さなエピソードを積み重ねることによって、丁寧に描き出す。 」と思えるリアルさを持っていて、それら場面のなんともいえない居心地の悪さは、杏奈が抱える孤独感をより引き立たせている。 なにより、こういった細やかで丁寧な描写を積み重ねることで、杏奈もまた僕らの暮らす世界に生きているひとりの少女なのだという実在感を獲得しているのが、ほんとうに素晴らしい。 僕ら観客は彼女の成長を見守りながら、一方で彼女自身となって映画の世界へ入り込んでゆくことだろう。 前作では奇妙なノイズにしかなっていなかったこの舞台変更だが、今回はきちんとそれが映画的に機能している点もまた、本作が優れた部分だ。 そして、杏奈というひとりのキャターを描くこと、それに深みを与えることにこそ、舞台をイギリスから日本に移した意味が生きてくる。 この明確な他者性から、杏奈にとって、もっとも自分から遠い存在かと思われたマーニーが、実は自分にもっとも近しい存在だったことに徐々に気づいてゆく展開も原作以上にドラマティックになっているといえるだろう。 そして、この異界性/他者性が十全に映えているのは、上述のように、前半部における杏奈の日界とそこからの移動を丁寧に描いているからであることは、繰り返しておきたい。 しかしなにより、舞台を日本に移したことによって、杏奈に原作にはない映画独自の設定をもうひとつ織り込むことができたことが、大きな利点ではないだろうか。 それは、杏奈が混血(=クォーター)であるという設定だ。 漁村の地元っ子が杏奈の目が青いことに気づき、無邪気に「ねぇねぇ」とはやし立てられて苦渋の表情を浮かべる杏奈を思い出そう。 杏奈は、本人が望む望まぬに関係なく、クォーターであることによる身体的特徴という、コミュニティ内で浮き立ちがちな異質さを持ってしまっている。 このように、彼女が感じているであろうの居心地の悪さや自身の寄る辺なさを、画/キャター・デザインとして表現していて見事だ。 それは具体的には、杏奈が「他人(ひと)を許す」こと、そしてそれによって自分自身も許せるようになるという形で描かれる。 いいかえれば、ひとを好きになることだ。 後半のある展開によって、杏奈はマーニーに対して「絶対に許さない」と憤ってしまう。 その後、杏奈が再びマーニーと湿地屋敷の窓越しに出会ったとき、彼女はそれでもマーニーを許す。 その理由は、映画のキャッチコピーにもあるように「あなたのことが大好き」という、ただそれだけなのだ。 ところで本作は、この後半部分に至る展開のプロットを原作小説から大きく変更している。 原作小説では、アンナとマーニーのふれあいによってアンナが成長するというパートと、アンナのイマジナリー・フレンドかと思われたマーニーの意外な正体が明かされる種明かしパートがきれいに分かれている。 アンナが湿地屋敷の絵を描く婦人と出会うのも、湿地屋敷に新しい家族が越してくるのも、マーニーが彼女も前から姿を消してからからである。 もちろん物語としては面白いし、映画版ではオミットされた種明かしもあるのだが、ことアンナの成長を描くという意味においては少し弱い。 そこで、今回の映画版では、ふたりのふれあいパートと種明かしパートを並行して描くことで、杏奈がマーニーを「許す」場面をクライマックスに置いて本作が杏奈の成長物語であることを明確化している。 ことほど左様に、前作での失敗点を踏まえた様々な創意工夫によって、本作を映画として新たに作り直してくれた米林監督に、僕は敬意を表するものである。 とくに、漁村に暮らす無口な老漁師・十一(といち)には、中盤に杏奈と関わる何らかのエピソードを与えてやるべきではないだろうか。 彼の主な出番は、映画前半部で満潮のために湿地屋敷に取り残されてしまった杏奈をボートで無言で助け出し、その後、映画の中盤から後半にかけてほとんど出番らしい出番がないままにラストで再登場して、ちょっとした見せ場を演じる。 しかし現状では、このラストシーンに少々突飛な印象が目立っているのが否めない。 無口で他人を寄せ付けない十一は、まさに杏奈の鏡像/分身であるのだから、彼自身が杏奈と同様に何らかの変化を経たことを示すような場面をひとつどこかに入れておけば、その説得力も増しただろう。 また、キャストのクレジットを表示するタイミングもいかがなものだろうか。 本作のキャストは、杏奈がこれまでの体験を経て成長の小さな1歩を踏み出したことを示す、静かな感動を呼ぶエピローグが進むなかでクレジットされる。 これだけでも、観客を映画世界からグッと引き離してしまいかねないが、加えてこのクレジットは、キャストの演じた役名を併置していないので、杏奈やマーニーといった主人公格はともかく、「誰がどの役柄を演じたのか」という疑問に思わず意識が向いてしまいはしないだろうか。 やはり、本作のスタッフ・クレジットがそうであるように、没入感の強い映画である本作は、きちんと物語が終焉してからエンド・クレジットとしてまとめたほうが良いだろう。 ラスト、柔らかなギターの音色に合わせて「わたしはひとりで皆の輪の外にはみ出していても大丈夫。 けれど、わたしのことを誰か覚えていてくれる人がいるだろうか」と静かに歌うプリシア・アーンの歌声が聞こえたとき、目じりには思わず涙が浮かんだ。 米林監督は本作の企画意図として「大人の社会のことばかりが取り沙汰される現代で、置き去りにされた少女たちの魂を救える映画を作れるか。 (……中略……)ただ、『』『』の両巨匠の後に、もう一度、子どものための作品を作りたい。 この映画を観に来てくれる「杏奈」や「マーニー」の横に座り、そっと寄りそうような映画を、僕は作りたいと思っています」と述べているが、前作『』から格段に進化し、杏奈というひとりの少女の小さな成長を瑞々しく描ききった本作は、それがきちんと叶えられた結晶だ。 僕は、この映画が大好きである。 : 前作で、非常に妙ちきりんな場所にポンと置かれていたタイトルも、杏奈が札幌の街を特急で出発した直後という、的確なタイミングで表示されている。 杏奈の本作の描き方は、これに照らし合わせても非常に好感が持てると、僕は思う。 (エレイン・N・アーロン『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 』冨田香里・訳、、2000年あるいは、2008年を参照のこと) : だから、委員長に対して思わず「太っちょブタ! 」と罵ってしまったとき、いかに杏奈が追い詰められていたかがわかるだろう。 : 本作でを担当したは、としては『』(監督、2001)以来のスタジオ・作品への登板となった。 この間、『』(2003)や『』(2004)などの故・監督作品や、『ももへの手紙』(監督、2012)などのキャター・デザイン/を担当していたこともあってか、今回の『マーニー』の作画はややリアル目な描線が映えるもので、現実と地続きの世界を描く本作に、より適した魅力を持つものとなっている。 また、見る位置によってマーニーが現れたり消えたりする、この図案を用いた大き目のパネルを映画館でご覧になったかたもあるだろうけれど、これも観客=杏奈という構図を打ち出すための気の利いた仕掛といえるだろう。 このパネルを見たとき、僕らは劇中の杏奈と同じく、現れては消えるマーニーの姿を探さずにはおれないからだ。 : また、ふたりが七夕の夜に出会うのも、これ以上ない素敵なタイミングではないだろうか。 : もちろん、これは悪いことではない。 : また、クォーターからイメージされる寄る辺なさは、杏奈がマーニーと同じ世界には行き切れないことを、当初から予感させる。 : 自らの恐怖の対象だったサイロに登って出られなくなってしまったマーニーを救おうとした杏奈に対して、マーニーが図らずもとってしまった行動のせい。 : 原作では、彼が気を失ったアンナを助ける場面がある。 ちなみに原作で彼の名前はアマリンボーといい、11人兄弟の末っ子として生まれた彼に母親が「11人目なんて、この子は余りんぼだよ」と愚痴ったからという、気の毒にもほどがある名前の由来の持ち主。 そりゃ、だんまりにもなるよ! : やっぱり、ちょっと笑ってしまってと首をひねった次第。 : 主題歌「Fine On The Outside」は本作のための書き下ろしではなく、アーンが自身の孤独だった高校生活を歌った既存曲。 とはいえ、原作にも映画版にもある「わたしは魔法の輪の外側にいる」という一節を思わせるような内容を歌う歌詞は、まるでアンナ/杏奈にそっと寄り添うかのような、これ以上ない本作の主題歌となった。 : web「『』公式ホームページ」内「企画意図」()、2014年7月26日閲覧。 MasakiTSU.

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