村山由佳 夫。 村山由佳の名作小説のおすすめ人気ランキング30選【恋愛小説だけじゃない!】

村山由佳の人気おすすめランキング10選【現代の男女の恋愛を描く】

村山由佳 夫

「年寄りなんていうと怒るから、ぴっちぴちのセブンティーンやんなぁ」。 そう優しく問いかける村山さんに怒り気味に「ウ~(せやねん)」と、ひと鳴き。 しかし彼女の猫生は、まるで一度に九生を生きたかのような激動の半生だった。 (文・高橋美樹 写真・安海関二) (末尾に写真特集があります) アンティークに囲まれて 軽井沢。 元は写真スタジオだったという108畳ものホール付きの自宅には、さまざまな物語を感じさせる多国籍のアンティークたちが調和している。 多くの時代と人の手を経て付いた傷がまたいい味になって「愛おしさと時に畏れさえ感じる」という村山さん。 「猫も同じ。 時を重ねてきたものだけが持つ可愛さと愛おしさがありますよね。 そして、飼い主にとってはどんどん通じ合う部分が増えて、唯一無二の存在になってしまう切なさと」。 最近は少しでも一緒に寝る時間を作るために、早めに仕事を切り上げてベッドに入るようにしているそう。 「一日一日が宝物です」 控室から舞台へ 最近は一日の大半を寝室に設置したペット用酸素室の中で過ごすもみじ。 この日も酸素室から出てきて、村山さんとベッドの上でお気に入りの真っ赤な湯たんぽを抱いて、しっかりカメラ目線で撮影に応じてくれた後、カリカリともみじ型のお皿に入ったウェットフードを平らげ、ちょっと水分補給してから「これも特別に見せたるわ」とでも言いたげに、おもむろにトイレへ。 まだ行かへんで 「今日みたいに自分の意思で動いて食べてくれると本当に嬉しい」と、村山さん。 というのも実はもみじ、昨年6月に病院で口内の左奥上部に「扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)」を患っていることが判明、3ヶ月の余命宣告を受けた。 同じ箇所に転移を繰り返しやすい癌で、すでに口内の腫瘤切除手術を8回も行っている。 年末には食欲が落ち、貧血と低体温で「一度は三途の川を渡りかけたところを戻ってきてくれたのは、まさに奇跡」だった。 弟分に一喝 普段体調のいい日は、必ず村山さんの執筆に立ち会うのが日課。 この日も、仕事場に同伴。 部屋から追い出してしまった。 作家生活25周年。 そのうちの3分の2を共に過ごしてきた。 村山さんの膝の上に収まり、その腕に顎を乗せてキーボードを打つ小気味よい音と振動に陶酔しつつ、「魂の深い部分にまで寄り添いながら」執筆を支えてきたのは他ならぬ「うちやで」。 その誇りが全身から伝わってくる。 生後1日目。 一番手前がもみじ。 この籠も猫用にアンティークのものを買い求めた(写真提供・村山由佳) 生まれた瞬間からの縁 生まれは千葉県鴨川市の「風が吹き渡る丘の上のログハウス」。 最初の結婚で初めて家猫として迎えた三毛猫・真珠が、2000年5月26日に村山さんの目の前で出産した4姉妹。 四季にちなんで、黒白ぶちを麦、真珠によく似た三毛をかすみ、白が多いぶちをつらら、そして最後に出てきた一番小さな三毛をもみじと名付けた。 じゃじゃ馬娘 子猫の時から自分にしか懐かず、どこか特別な猫だったという。 「引っ込み思案なくせに肝が据わっているタイプ」で、狩りの腕も姉妹で一番。 「裏山から1mもあるようなアオダイショウを引きずってきて、サンルームでコブラ対マングースみたいに戦闘姿勢で向き合ってたこともあったし、自分より大きなキジを咥えて帰って猫ドアを通過できず、右往左往してたことも(笑)」 子猫たちが2歳の頃、村山さんが長年の夢だった同じ鴨川の農場に引っ越す時にも、売り出したログハウスの内見に来ていたお客さんに「ほんの気持ち」のつもりか、蛇を持ち帰ってギョッとさせたのも、もみじだった。 女一人と猫一匹 3000坪の広大な農場では一気に大所帯になり、多い時で馬2頭、犬5頭、ウサギ・鶏・チャボ・アヒルたちが数えきれないほど。 猫も食客を含めると11匹に上った。 そんな大自然に囲まれ大家族の中、自由を謳歌していた田舎暮らしから一転、5年後に村山さんは農場を手放し離婚。 その際「この子だけは」ともみじを連れて43歳と7歳、東京のマンションで女一人と猫一匹のふたり暮らしが始まった。 「心身ともに一番辛かった時期で、本当にもみじだけが頼りでした。 彼女にとってもこの時が一番しんどかったんじゃないかな。 人生で、新居を探す間の1ヶ月間だけ離れ離れだったんですが、よほど寂しかったみたいで、再会した時は声が嗄かれるまでなじられました」。 泣き疲れたもみじを抱いて村山さんも泣いた。 「しっかり食べてしっかり出すこと」は元気のバロメーターでもあり、お達者な証拠! 白も黒も全部 その年に友人から譲り受けたメインクーンの子猫・銀次を迎え、都内でさらに2度、2009年に現在の軽井沢の自宅に移るまで計5回の引っ越しを経験。 さらにその後もたくさんの恋、そして再婚、2度目の離婚も経験した村山さん。 もちろんもみじは片時も離れず、すべてを受け入れた。 その作風からも豊富な恋愛遍歴は宿命とも思えるが、「もみじが人の言葉を話せなくて助かってるかも。 彼女だけが私のこれまでの悪行を全部見てますもん!」と恥ずかしそうに笑う。 3匹の仲間と背の君 家族も増えた。 高齢ゆえの負担を考え、村山さんの寝室と仕事場をもみじの主なテリトリーにし、銀次の遊び相手にと、2014年に近所のスーパーの里親募集の張り紙で出会った子猫のサスケと楓(かえで)兄妹(3歳)を迎えた。 現在のパートナーは、SNSでは「背の君」こと、邦士くにおさん。 猫ほか生き物の世話を一手に引き受け、もみじが唯一「父ちゃん」と認める頼れる存在だ。 「とにかく彼女は3人でいることが好きで、私たちが楽しそうに喋ってるとゴソゴソ酸素室から出てきて、『何あんたら仲良うしとんねん』って顔で真ん中に割って入ってくるんです。 寝る時も、もみじのために酸素室のチューブを布団の中に引きこんで、足元に湯たんぽを入れてやって一緒に寝るんですが、彼女が〝川の字〟の真ん中に陣取るようになったのも、これまでで彼が初めてです」 激動の猫生 田舎から大都会、大家族からふたり暮らし。 たくさんの種族とパートナーとの生活も経験して、今世で何匹分もの猫生を凝縮して生きてきたかのようなもみじ。 「昔は性格を『偏屈』と思ってたけど、こんなにプライドの高い猫って初めてかもしれません。 今は往年の大女優の生き様でも見せられてる感じ」と、村山さん。 「その時々で彼女の許される範囲内ではあるんだけど、自由奔放に、誇り高く生きてきたっていうかね。 最近は嫌いな病院も数日に一度は通わざるを得ないんですが、大声で文句は散々言っても一度腹をくくると絶対逃げないんです」。 仕事場で。 もみじがそばにいてくれると、ふっと肩の力が抜けて執筆がはかどるそう 日々感謝と祈り 余命宣告からすでに7ヶ月を過ぎ、奇跡は続いている。 「ただそこにいてくれるだけですべてをもらっていますね。 常にもみじを見ている時の気持ちって、『また一日無事に過ぎました。 ありがとうございました』っていう感謝と、『一日でも長く苦痛のない状態でいてほしい』という祈りなんです。 子どもの頃からミッション系の学校で育って、洗礼名も持って教会に通ってた時もあったんですが、自然の中で暮らすようになってからキリスト教的な〝何か〟より、日本の八百万(やおよろず)の神様の方が近いなって思うようになってきた。 元々、人智を超えた存在がこの世か、この世の外にあるのかもしれないという考え方は、ごく自然に体の中にあるんですが、もみじを見てると神々しくて、何となくその境地にいるっていうか、私よりうんとすごいことを体で知っていて、言葉の追いつかない世界と近くなってるんじゃないかなっていう風に感じるんです」 行き着く場所は同じ 村山さんが好きな言葉「A n y t h i n g g o e s. ( 何でもあり) でも行き着くところは同じ場所」。 「もみじ自身、自分の行く末を分かってると思うから、今は自分より私の方を心配して『ほんまにうちがおらんようになって大丈夫かな。 母ちゃん、うちがおらんとほんまにあかんのに……』って思ってると思うんです。 だけどこの先必ず彼女を見送る時が来るし、後悔がまったくないというのは嘘になりますが、癌という病気のお陰で覚悟の時間と、一緒に密度の濃い時を大事に過ごせる猶予を与えてもらっているので、辛いけれどありがたい。 だから、その時が来たら岸から船が離れるように自然に送り出してあげたいですね。 そう思ってたいなって思うんです」 後日、村山さんから9度目の手術成功のメールが届いた。 「あほちゃうか、うちまだまだイケるで」。 愛らしいあのダミ声も聞こえた気がした。 (*もみじは「猫びより」掲載後の3月22日に他界しました).

次の

02 新しい生活の始まりはいつだって

村山由佳 夫

爽やかな青春小説から深い官能を描いた作品まで、数多くの恋愛を描いてきた直木賞作家・村山由佳さん。 中でも、転機作として賛否両論を巻き起こした『ダブル・ファンタジー』と、去年刊行された続編の『ミルク・アンド・ハニー』では、主人公の脚本家・奈津が心の向くままに男性と肌を重ねていく。 リアルで刺激的な性描写や人物設定に、どこまでが実話でどこからがフィクションなのかとつい勘ぐってしまうが、 「自分で経験したことのない感情は書けない」と村山さんは話す。 50代になっても恋愛したい気持ちは変わらず、むしろ強くなっているという。 「恋をやめようと思ったことはないんですか?」という質問に、ふんわりとほほ笑みながら、柔らかな口調で答えた。 キャリアを築いても、恋愛でしか承認欲求が満たされず 現在54歳。 2度の離婚を経て今、新たなパートナーと暮らしている。 「ずっと恋はしていましたね。 全く褒められたことではないのですが、いつも新しく好きな人ができたことを機に、前の人と別れてきました。 人を好きになるときは頭で考えたりしないし、好きになったら飛び込んでみようという性格。 それは今更変えられないから、仕方ないかなって」 「恋愛をもうやめたいということはあったと思うんです。 けれど、 ずっと自己肯定ができなかった自分にとって、恋愛は承認欲求を満たすもの。 恋愛への依存がありました」 29歳で小説すばる新人賞を取り、38歳のとき『星々の舟』で直木賞を受賞。 25年にわたり順調なキャリアを築きながらも、仕事で承認欲求が満たされることはなかったという。

次の

【後編】いまだに気持ちがざわつく!? 娘が振り返る母との関係。

村山由佳 夫

1.柚月裕子の出身高校は?プロフィールや経歴は? それでは、さっそく 柚月裕子さんの プロフィールや経歴と出身高校 について確認していきましょう。 柚木裕子の出身高校 柚月裕子さんは20歳まで 岩手で過ごされていて 「釜石応援ふるさと大使」を 努めているので 高校は岩手県釜石市内の 高校に通われていたと思われます。 ちなみに釜石市内には ・釜石南高校 ・釜石北高校 が当時あり2008年に統合されて 現在は 岩手県立釜石高校になっています。 ということは、 柚月裕子さんは 統合前の 釜石南高校 か 釜石北高校 のどちらかの高校に 通われていた可能性が高いですね。 とはいえ親の転勤が多かったことを 考えると他の高校の可能性もありそうです。 com 名前 :柚月裕子(ゆづきゆうこ) 生年月日:1968年5月12日 出身地 :岩手県石巻市(山形県山形市在住) 趣味 :読書、トールペイント、ソーイング 柚月裕子さんは小学2年性から20歳まで 岩手県石巻市内で過ごされています。 とはいえ親が転勤族だったことで 小学校は3回も転校され、 小学校2〜5年性の間は盛岡市に 住まれていたようですね。 両親が本好きだった影響で子供の頃から 絵本をよく読んでいた 柚月裕子さんは 幼い頃からマンガや童話や絵本などが 当たり前にある環境で、 母親が公民館から本を借りてきてくれて 気に入った本があるとチラシの裏側に 書き写していたようですね。 すでにその頃から物書きの練習を 自然とされていたようで 中学1年性から物語を書き始めます。 そんな 柚月裕子さんが本を書く きっかけになったのが、 「シャーロックホームズ」です。 小学生のときに子供向けのものは 読んでいたものの、大人向けの翻訳 したものを読んだら、実際のホームズは コカインはやるしピストルは打つしの 悪党だったことにびっくりして、 オリジナルの面白さに目覚めたそうです。 柚木裕子のデビューのきっかけ 柚月裕子さんが本気で 作家を目指したのはデビューする2年前 だったというので、38歳のころに 作家になろうと思われたようですね。 それまでは、池上冬樹さんが主宰する 「小説家になろう講座」に4年間 参加されていたものの、はじめの2年間は 提出した作品を評価する生徒の 言葉がキツすぎて、怖くて 提出できなかったようです。 そんなあるとき講師に来ていたのが 逢坂剛さんと志水辰夫さんです。 2人とも有名な小説家だったため 柚月裕子さんは一生に一度のチャンスと 何を言われてもいい覚悟で 作品を提出したところ褒められ 血レンジした山形新聞で行ってる 山新文学賞に応募したところ 見事に選ばれ小説家デビューを 果たしてます。 さて、 柚月裕子さんは 結婚されてる のでしょうか? また 夫や子供はどうでしょう? 確認したところ 柚月裕子さんは 21歳という若さで結婚されていました。 柚月裕子さんは高校を卒業されたときに 親の転勤で岩手県から山形県へ 家族で引っ越した先で 結婚されています。 その後すぐに親は岩手県へまた転勤に なりましたが 柚月裕子さんは そのまま山形に残ったそうです。 その後 柚月裕子さんは一男一女の 2人の子供に恵まれて 子育てが落ち着いたことで 小説家への道へ進まれています。 そして忘れていけないのが 猫の メルとピノです。 nhk. 産みの母親は 柚月裕子さんが28歳のときに ガンで56歳とみじかい人生を閉じています。 本の面白さを教わった産みの母が亡くなった ことはとてもショックだったでしょう。 そして 柚月裕子さんは父親の離婚と 再婚で 育ての母と暮らすようになり 父親の転勤で移り住んだ山形で 柚月裕子さんは結婚されていますが 両親はその後すぐに岩手県へ引っ越し お互いが別々の場所で暮らしていた 2011年に東日本大震災が発生し 両親が暮らしていた岩手県宮古市に 押し寄せてきた津波によって 家とともに 両親が流されてしまいました。 柚月裕子さんにとっては親を3人 失ったような気持ちだったでしょうね。 震災直後はなかなか小説を書くことが できなかったというので 両親を失った辛さは計り知れないですね。 今も震災での出来事は受け止めることが できないそうですが、 その思いを作品に表現されようと 奮闘されているということです。 震災のつめあとは10年経っても 心まで癒すことはできないものですね。 心からご冥福をお祈りします。

次の