今年 も 残す ところ あと わずか。 2018年、今年も大変お世話になりました!

今年も残すところあとわずか・・・。

今年 も 残す ところ あと わずか

ホチキスなのに耐荷重は5kgと心強い! 跡が目立たないので賃貸でも安心です。 新年を新たな気持ちで迎えられそうです。 片づけ作業も終了しました。 札幌へ2日間の出張お片づけ、年末年始の来客を見据えて スッキリとしたお家へと整えていきました。 本当に大好きなお客様、頑張ってくださりありがとうございました^^ 明日からは自宅の片づけとお掃除です。 札幌から旭川に引っ越してきて間もなく3年。 とても深い意味があったようです。 旭川は、自然と街が調和しています。 自然と人も。 雄大な大雪山を見ていると、とても神々しく心が癒されます。 時間に流され、周囲に流されていた札幌での暮らしは、 旭川に来て変わりました。 五感が研ぎ澄まされるような感覚と、 自分の内側の声を聴く時間があります。 これからも一日一日を大切に。 目の前のことを丁寧に。

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❆今年も残すところあとわずか・・・❆

今年 も 残す ところ あと わずか

早いもので今年も残すところあとわずかとなりました。 年を重ねるごとに時間の流れが速くなったと感じるのは私だけではないと思います。 子どもの頃は「あと何日でお正月だ。 」とか、「冬休みまであと何日だ。 」とか、時の流れがなかなか進まないもどかしさを感じながら、指折り数えてカレンダーがめくられていくのを待っていたものでした。 しかし、それは同時に一日一日が新しいこととの出遇いであり、多くの体験と発見の中で新鮮な毎日を過ごせていた証なのかなと思います。 いま、大人になり 「一日が過ぎるのが早いなぁ。 もう一年が終わろうとしている。 」 などと考えるのは、 「発見する感覚が鈍ってきたのかな。 」 などと思ってしまいます。 毎日多くの人と出遇い、多くの体験をしているはずなのに・・・仕事やら家事やらに流されているのかな。 ゆっくり立ち止まって見回してみると意外な発見があったりして楽しくなるかもしれません。 走っていると気付けない道端の小さな花、最近建て変わった建物、小さい頃遊んだ空き地・・・etc。 友人の笑顔をいつもと違うように感じたり、何気ない仕草から優しさに気付かされたりできるかも。 スピードが求められる現代社会です。 その流れに乗り遅れないようにしようと知らず知らすに走っているような気がします。 昨今「癒し」がブームです。

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京羅木山初日会と子とんどのお知らせ

今年 も 残す ところ あと わずか

A ベストアンサー こんにちは。 4/28のご質問ではお礼のお返事を有難うございました。 ご質問: <「残す」と「余す」の違いは何ですか?> 大きな違いは、「継続性があるかないか」です。 1.「残す」: 基本は「残るようにする」という意味の他動詞です。 これが、以下のような意味に分かれます。 ここから、「残す」「残っている」という意味でも使えます。 3.両語の違い: (1)上記から、「残す」には「あとにとどめる」(継続的)、「後世に伝える」(永続的)、「余裕を作る」(持続的)といった、動作・状態が「続く」イメージで使われます。 (2)一方、「余す」は「余分なものを作る」ことです。 「余分なもの」=「特に必要ないもの」という認識から、永続的に残す必要はありません。 (3)「余り」に「なごり」といった意味合いもありますが、それも一時的なものです。 例: 「余韻」「余情」 これらも、鐘をついた時、あとにひびきが残ることから、詩歌などの言外の情趣について用いられることもあります。 ただ、どちらも「一時的」に残るもので、恒常的に継続のニュアンスはありません。 (4)中国の漢文に由来する用法では、 「余殃」:祖先の悪行のせいで子孫にまで及ぶ災い 「余慶」:祖先の善行のお陰で子孫にまで及ぶ幸福 など、持続的なニュアンスのある熟語もありますが、「余」という漢字の視覚イメージから、「偶然できた残り物」そして「いずれは消え去るもの」という一時的なイメージはぬぐえません。 以上ご参考までに。 こんにちは。 4/28のご質問ではお礼のお返事を有難うございました。 ご質問: <「残す」と「余す」の違いは何ですか?> 大きな違いは、「継続性があるかないか」です。 1.「残す」: 基本は「残るようにする」という意味の他動詞です。 これが、以下のような意味に分かれます。 A ベストアンサー かなりややこしい問題です。 はっきりと正解・間違いかと答えられる人がいるのでしょうか、と感じるくらい難しいことのようです。 ただ末尾に〔普通、順序の意には「初」、開始の意には「始」を用いる〕」とあります。 大辞泉では、 「はじめ【始め・初め】 5 (「…をはじめ」「…をはじめとして」の形で用いる)多くの中で、主となるもの。 また、先に立つもの。 つまり、5の文例は「初め」を慣用とするとしているようです。 岩波国語辞典では、 「はじめ【始め・初め】」としているだけで、特にどちらを が 用いる・用いられるかは明確にしていません。 ただし、副詞に限っては「初め」としています。 新明解国語辞典 「はじめ【初め】」として、末尾に「「始め」とも書く」としています。 Windows付属のIMEでは、 始め: [一般的][物事に関して][動詞的] 初め: [時間に関して][副詞的] としています。 IMEだけは、はっきりと「校長を始めとして」と用例をあげています。 しかし根拠は ? です。 漢字の由来としては、 「始」は「終わり」に対する「始め」の意味だけです。 [始皇帝、終始、始終、始末、始めは処女のごとく後には脱兎のごとく] ま、大辞林のとおりですね。 IME他、時間的な始まりと物事の始まり、という分け方をしているものを時々みかけますが、どうでしょうか。 「並んでいる一番目」「第一の」というようにとらえれば「初め」になるようです。 初恋、初陣、初夜などは時間とばかりはいえないでしょう。 少なくとも、「社長をはじめ、職員の…」であれば「はじめ」は動詞・連用形と考えられるので「始め」になります。 しかし、「社長をはじめとする職員の…」となると「ははじめ」は名詞ですから、やはり ? です。 歯切れのいい回答にならず申しわけありません。 かなりややこしい問題です。 はっきりと正解・間違いかと答えられる人がいるのでしょうか、と感じるくらい難しいことのようです。 ただ末尾に〔普通、順序の意には「初」、開始の意には「始」を用いる〕」とあります。 大辞泉では、 「はじめ【始め・初め】 5 (「…をはじめ」「…をはじめとして」の形で用いる)多く...

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