こうべ を た れる いなほ かな。 こうべをたれるいなほかな。

実るほど首を垂れる稲穂かな

こうべ を た れる いなほ かな

実るほど頭を垂れる稲穂かな ということわざにこんな意味があった? 最近になって 実るほど頭を垂れる稲穂かな ということわざを耳にするようになったと思いますが、 実るほど頭を垂れる稲穂かなとは 一体どのような意味をもったことわざなのでしょうか? スポンサードリンク 稲穂かなのことわざはこんな意味がある? 実るほど頭を垂れる稲穂かなというのは 簡単に言ってしまえば 立派な人や人格者程 謙虚に振る舞うものである という意味を持っています。 稲穂というのは 成長して実をつけることによって 頭の部分が重くなって 下に垂れさがるようになっています。 つまり、 実るほど頭を垂れる稲穂かな ということわざは 稲穂が成長して実をつける量が多くなれば その分頭を垂れる という意味になるので、 成長しきって立派に実をつけたことで 下の方へ頭が下がった稲穂の姿を見て 立派な人や人格者程、 腰が低く他の人に対して謙虚な姿勢で接する。 ということわざになったのです。 そして 実るほど頭を垂れる稲穂かな ということわざの使い方としては 偉い立場であったり 年長者の立場である人ほど、 他人に対して偉そうな態度はとらずに 謙虚な姿勢で接することを心がけること といった意味合いで 使われることが多い言葉となっています。 私も他人に対して 謙虚な姿勢は取っておきたいものです。 スポンサードリンク 稲穂かなのことわざには実はこんな意味もある? そんな感じで 謙虚さを表すことわざである 実るほど頭を垂れる稲穂かな ですが、 とあるブログにおいて 成功している人たちは 謙虚な人が多いけども、 その人たちも 昔から謙虚だったわけではなく、 若いころは他人に対して 謙虚ではない姿勢を取っていたけど、 そのことで失敗した経験から 色々と学んでいくことによって、 成功できるようになった。 という風な意見がありました。 確かに若い時は 相手に対して謙虚になれるか? というとそうでもありません。 私自身も昔は そんな謙虚とは言えませんでしたし、 それで失敗する等の経験をしたり 年を重ねるうちに謙虚になったように感じます。 それに、 稲穂というのはまだ実をつける前は ぐんぐんと上へ向かって成長し、 実をつけると同時に重くなって 頭を垂れるような形になります。 この事を考えても、 実るほど頭を垂れる稲穂かな ということわざは 人の人格面での成長 を意味する言葉にもなっているのかな? という風に感じずにはいられないです。 稲穂かなのことわざまとめ 実るほど頭を垂れる稲穂かな ということわざには 立派な人や人格者程謙虚 という意味が込められています。 でも誰もが最初から 謙虚な姿勢をとれる人格者ではなく 成長と共に謙虚な態度をとれるようになった という意味にも思えてきます。 なので私は 実るほど頭を垂れる稲穂かなとは 人格面での成長を表す言葉 という風にも思いますね。 スポンサードリンク 関連記事はこちら• 稲穂かなのことわざについての意見、とても面白く拝見いたしました。 私も少し意見があるので、述べさせていただきたいと思います。 ことわざには単純に先人の体験や物事の現象をいうだけではなく、先人の体験から後の人への戒めとして残しておく言葉という意味もあると思います。 もちろんこの場合今私たちが見る範囲で若い時から謙虚でも大した人生を送っていないように見える人もいるかもしれませんが、本当の意味での謙虚さをもった人、謙虚のふりをしている人ではなく、素晴らしい仕事をしても威張らず、おごらない人はいますし、その生き方にはさわやかさへ感じます。 何を以て人生の成功者というのかを思いますとやはり自分なりの生き方に満足している人と言えるのではないでしょうか。 一時の成功より人を大切にする心こそ大事なことだと解釈すればやはりこの言葉は、人生の戒めとしてとらえることもできるのではないでしょうか。 私はこんな風にこの言葉を解釈しています。 ひとつも解釈として述べさせていただきました。

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実るほど 頭(こうべ)を垂れる稲穂かな!

こうべ を た れる いなほ かな

もくじ• 実るほど頭を垂れる稲穂かなとは 実るほど頭を垂れる稲穂かなはとても有名な詩ですね。 「みのるほど こうべをたれる いなほかな」と読みます。 中身の詰まってない稲はピンとたち、中身が熟した稲ほど実の重みで頭が下がる様子から、 知識や徳を積んだ人ほど謙虚な人間になることを例えたことわざですね。 座右の銘としてこのことわざを使う方も多いので耳にしたことも多いのではないでしょうか。 とても有名な詩ですが、 誰が読んだ詩かはわかっていないようです。 ですから、少し調べてみると少し違う言い回しをすることもあるようですね。 「実るほど 頭の下がる 稲穂かな」 など、いくつか似た言い方があるようですが意味は同じです。 実るほど頭をたれる稲穂かなの意味 辞書にはこのように意味が書かれています。 学問や徳行が深くなれば、かえって謙虚になる。 実る稲田は頭垂る。 実ほど頭を垂れる稲穂かな。 大辞林より 要は 豊かに実った稲はその重みで頭が下がる、その様子から何らかを学び修めた人は謙虚さを兼ね備えるようになるという意味ですね。 ああその通りやな〜 と何げなく納得してしまいますが、よくよく味わうと深いことを言っていますね。 実るほどこうべを垂れる稲穂かなの味わい このことわざの一番大事なところは、頭が下「 が」るとか、垂「 れる」いうところがとても重要な表現なんです。 「頭を下げる」と「頭が下がる」は違う。 「頭を下 げる」と「頭が下 がる」は動作としては同じですけど、実はこの2つには 大きな違いがあるんです。 頭を下げる 人はお金のためなら頭を下げることができます。 仕事を紹介してくれたり、お得意さんであったり、ここで 「頭を下げ」ておけば、自分にとって利益があるぞ!という時は ペコペコ頭を下げることができるんです。 気持ちなんて全然こもってなくていいんです。 自分の尺度や都合であっちにペコリ、こっちにペコリ。 意識的にペコリ、狙ってペコリ。 頭を「下げる」のはポーズでできることなのです。 頭が下がる しかし、「頭が下がる」というのはちょっと違うんですね。 これは 損得や自分の都合を超えた世界なんです。 相手がどうとか、利益や損得の問題じゃなく、私がどのような存在なのか?という 中身が問われる問題なんです。 頭が下がるというのは自然に起こってくることで、狙ってポーズでできることではありません。 どういうことかというと、 私の中に本当に中味が詰まらないと「頭は下がらない」んですね。 中味というのは 感謝と尊敬の心、そして「 おそれいる」という心。 自然に「頭が下がる」人というのはなかなかいないんです。 実るほどこうべを垂れる稲穂かなから学ぶこと 実るほどこうべを垂れる稲穂かなという言葉からは、周りの様々な働きによって自分の実りは支えられていることを知ることができます。 稲は稲自身の力だけで成長するのではない 稲が生長するには稲自体のもつ力はもちろん大切ですが、それだけでは成長しません。 土がないといけません。 水がないといけません。 日光がないといけません。 いろいろな要件が揃って、時間とともに稲穂の中身が詰まっていく。 直接的にも間接的にも多くのはたらきがあって中味が詰まっていくわけです。 その周りの多くのはたらきによって、 自分自身が支えられていることに気づけないと頭は下がらないわけですね。 実るほど頭が下がる稲の姿に人間も学ぶべき これは人間のあり方も一緒なんですよね。 自分が成長するまでに 様々な支えとご縁があってここまで育ってきたわけです。 もちろん自分の努力もあるでしょう。 しかしそれ以上に、 自分の目には見えないたくさんの「はたらき」に支えられて育ってきたはずです。 成長をうながす「はたらき」によって自らが成り立っているという事実に気づけるかどうか。 この「 気づき」がないと、いくら知識を得ようが仕事をこなそうが、 「ありがたい」という心は生まれず頭は下がらないのです。 「おかげさま」という考え方 古くから日本は直接的には見えない「はたらき」すなはち、 「影 かげ 」の力に感謝する生き方をしてきました。 それが言葉にも表れているんですね。 「かげ」に尊敬の「御」をつけて「おかげ」と言いました。 さらに丁寧にして「様」もつけて「おかげさま」となりました。 私がここまで育ってきたのは「おかげさま」である、こういう精神を大事にしてきたわけです。 現代は個人の主義主張を強く言う時代になりましたが、 自己主張がどんなに強くなろうとも多くのものに支えられて生きているという事実自体に変わりはありません。 自分が支えられていることに気づかず、 自己顕示欲とメンツでぱんぱんの稲穂は、肝心な栄養が入っていないから熟していかないわけです。 いつまでもこうべを垂れず、青くぴんと突っぱったまんま。 そんなお米食べれたもんじゃないんですね。 頭の下がった稲穂の姿に「おかげさま」の心を学んで、頭の下がる生き方をしたいものですね。 その他コラム もうちょっと楽に学べるやなども人気です。 やなんかも読みやすいと思います、あわせてどうぞ!.

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こうべをたれるいなほかな。

こうべ を た れる いなほ かな

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味とは? 読み方は「みのるほど こうべをたれる いなほかな」 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は「みのるほど こうべをたれる いなほかな」と読みます。 こうべは「頭」や「首」を意味し、首を垂れて頭を下げるという状態を指します。 また「実るほど頭を垂るる稲穂かな」や「実るほど頭の下がる稲穂かな」など、細かい部分で表現の異なる言い方もあるようです。 意味は「立派な人ほど謙虚な姿勢である」 稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢であるという事を意味することわざです。 「頭を垂れる」という言葉自体に「相手に敬意を払って自分を謙る」という意味があるので、稲が立派に成長するに従って、稲穂の部分(稲が実を付けている部分)が垂れ下がってくる様子を、稲と稲穂を成長していく人間に例えています。 「人としてのあり方」を稲穂に見立てている 若い緑色の稲はまっすぐに天に向かってすくすくと成長し、やがて実を付ける稲穂に成長します。 更に稲穂の中の実(お米)が成長してくると、そのしっかりとした実の重みで自然と稲穂の部分が垂れ下がり美しい黄金色になっていきます。 その過程では、強い風雨にさらされたり、冷たい日や暑い日を乗り越えなければ、立派な稲に成長し豊かな実を付けることはできません。 この状態を人間に例えて、若い頃はまっすぐに上だけを向いて立派に成長し、色々な荒波や苦労を乗り越え、立派な人格を形成した人物は、偉くなればなるほど、頭の低い謙虚な姿勢になっていくという意味として表現しています。 一方で、稲穂の中身が立派なお米に育っておらず、実がスカスカのお米だった場合には重みがなく軽い稲穂になってしまいます。 そんな稲穂は、見た目は立派な稲穂に見えますが、穂が垂れるほどの重みがなく、頭が下がってはいません。 稲のこの生態の例えるところは、見た目や肩書きは立派だが、中身が伴っていない人は、虚勢を張って威張るだけの小物であり、人格者とは程遠い人物であるという事を示しています。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は俳句?作者は誰? 俳句ではなく「ことわざ」として出典されている 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、季語である「稲」を含み5・7・5で詠まれているので俳句はありがますが、故事成語のことわざとして広く使われています。 「詠み人不詳」の故事成語 広辞苑では詠み人不詳の故事成語としてのことわざとして扱われており、いつの時代に詠まれたのかなどの詳細は今の所不明です。 5・7・5の俳句調に詠まれていることから、俳句が発生した以降に詠まれたという事を推測できるくらいです。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の類義語 「和光同塵 わこうどうじん 」の意味 仏が仏教の教えを理解できない衆生 民 のために、仏が自身の智徳の光 姿 を隠して人間界に現れ民を救ったことを表し、自分の才能や徳を隠して、世の中に交じって慎み深く、謙虚に暮らすという意味。 「大智如愚 だいちじょぐ 」の意味 優れて賢い人は一見では愚者に見えることということ、本物の賢者は知識を見せびらかさないという意味。 「内清外濁 ないせいがいだく 」の意味 心の中は清らかでありながら外見は汚れたように装い、世俗と上手く付き合っていく処世術を表している。 「金声玉振 きんせいぎょくしん 」の意味 備わっている才知と人徳が釣り合っている人のこと。 孟子が孔子を賛美したとされる言葉。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の外国語表現 英語では「The boughs that bear most hang lowest. 「The boughs that bear most hang lowest. 」=一番実を付けている枝が一番低く垂れ下がる• 「The more noble, the more humble. 」=高貴な人ほどつつましい• 「Pride will have a fall. 」=高慢は失脚を招く 中国語は「成熟的稻穗低着头」• 「成熟的稻穗低着头」=成熟した稲穂は頭を下げる• 「真人不露相」=才能のある人は軽々しくそれを見せびらかすような事はしない• 「知者不言、言者不知」=知恵のある者は言葉が少なく、言葉の多い者は知恵が少ない 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を座右の銘とする生き方 早稲田大学の姿勢 名門早稲田大学の「三大教旨」は「教育・研究・社会貢献」とのことで、歴史と伝統の中で「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を自然と身に付け「志はあくまで高く、頭 ず はあくまで低く」という早稲田人としての生き方を作り出してきたそうです。 そうして身に付けた「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という生き方を、社会に出てからも生きる姿勢として社会貢献の場に生かす学生作りを指針としているとのことです。 松下幸之助の信条としても有名 パナソニックを一代で世界的な大企業へと成長させ、経営の神様として世界中で知らない人のいない松下幸之助も、この「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を信条として、商売だけでなく人の生きる道として志していました。 多くの人々の心を動かし、世界で通用する企業を作り上げ、常に時代の先と人間を見ていた人格者たる所以なのかもしれません。 まとめ 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味や類義語、外国語での表現をみてきました。 人間の成長は、稲が立派な黄金色に育つ過程のように、強風や冷害、その他の困難に打ち勝って行く姿に似ています。 様々な困難に打ち勝ち、心を鍛錬できた人が、「人格者」や「人徳のある人」なのでしょう。 私たちも若い頃から常に成長を目指して努力を惜しまず、たくさんの困難や挫折を経験し、人間としての徳を積んでいき、実るほどに頭を垂れて生きていきたいものです。

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