島田 紳助 会見。 島田紳助の引退理由は上原美優や飯島愛?暴力団とのメールの真相は?

石橋貴明VS島田紳助【喧嘩】ものまね引退会見パロディで激怒!2人の確執とは

島田 紳助 会見

活動期間:1974年〜2011年 元所属事務所:吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー) 多くの人に知られている知名度の高いタレントですね。 そんな島田紳助の芸能界での経歴について紹介していきます。 18歳時に芸能界入り、同期には明石家さんま・オール巨人・桂小枝などがいます。 1977年にお笑いコンビ「紳助・竜介」を結成、1980年代には漫才ブームにも乗り人気を博しましたが、1985年に解散。 以降は、芸人としてだけではなく司会 バラエティ〜情報番組など多彩 、プロデュース業などもしていくようになり、2000年代以降は業界の大物タレントとしての地位を確立しています。 島田紳助さんが司会を務めた番組は、最後やめる前段階だけでも6本。 ヘキサゴンII 数々の番組を持ち、そこでの独特の発言やキャラクターで多くの人を魅了してきた島田紳助ですね。 そこでの島田紳助の数々の 名言 は引退後も多くの人の心に多大なる影響を与えています。 そんな島田紳助はテレビの司会や進行をさせれば島田紳助の右に出る人はいないといういうくらいの圧倒的実力の持ち主でした。 そんな島田紳助ですが、2011年に芸能界を引退しています。 ここからは島田紳助の芸能界引退理由について調べていきます。 島田紳助の引退理由と噂される黒い繋がりを示すメールについて考察! 島田紳助の引退理由とされていることについて紹介していくいきます。 島田紳助さんは「開運!なんでも鑑定団」の放送終了直後の2011年8月23日に吉本興業の取締役や弁護士と共に記者会見を開き、暴力団関係者と黒い交際があったこと理由に引退を宣言しました。 50分にも及ぶ引退記者会見の中で島田紳助さんは、2005年6月から2007年6月までの間で、暴力団関係者と親密な関係があるようなメールのやり取りをしていたことが発覚し、所属している吉本興業から事情を聞かれたため関係を認め引退を決意したとのこと。 暴力団関係者とは親密な関係ではなく「十数年間で5回程度」とし、暴力団関係者と付き合うことで利益を得ることはなかったと会見内でコメントをしていますが、反社会的勢力である暴力団関係者とつながりを持つことは芸能界ではタブーであり、島田紳助さんは社会的責任を取るという形で引退を発表しました。 ちなみにこの時の島田紳助のコメントについてはこのような感じです。 島田紳助さんは、暴力団関係者と関係はあったものの、それが親密な付き合いと呼べるほどのものだったとは思っていなかったことが間違いだったと語っています。 暴力関係者と一切付き合ってはいけないという芸能界のルールに違反していることが引退を決める決定打になりました。 関係を持った理由について島田紳助さんは、過去に窮地を暴力団関係者に救ってもらったことがきっかけだったとのこと。 そのことの延長で付き合っていたのかもしれませんね。 とはいうものの実は交際は親しかったんじゃないかとも言われています。 10数年前なのですが、解決できないトラブル、どうしようもないことが起こったので、事務所を辞めよう、芸能界を去ろうと決意しました。 その時、昔からの友人であるAさん、ひっきりなしに会っているわけでは全然なく数年に1回会うペースでしたが、僕が非常に悩んでいるという話を聞いて、「どうしたんだ」と自宅に電話してくれました。 そしてAさんに話したら、Aさんは組織のBさんにその話をして、僕の悩みを解決していただきました。 このような話もあるので実は親密な関係で困ったときには助けてもらっていたのかもしれませんね。 それを紹介します。 島田紳助さんは大阪のローカルTVで1991年4月から2002年3月まで放送されていた「紳助の人間マンダラ」という番組の司会をしていました。 1998年その番組の中で、収録前に黒塗りのワゴン車に「何トロトロはしっとんねん」と怒鳴ったところ、いかつい男がぞろぞろと出てきて、「菊の御門がみえへんのか?」といわれ、「菊の御門ならワシのケツにもついとる!」と反論したエピソードを語りました。 その黒塗りの車が右翼団体だったんですね。 その放送を見た右翼団体が激怒しテレビ局に連日抗議活動を受ける事態に発展したとのこと。 ちなみに島田紳助と渡辺次郎の関係についてはこのような感じです。 島田紳助は自分がボクシングの経験もあり、そのことで渡辺二郎と知り合ったようです。 そしてそんな二人の仲は親しかったようで、 1999年に渡辺二郎さんが銃刀法違反で逮捕された時には、島田紳助さんが情状証人として出廷するほどの関係だったようです。 ちなみに、2007年6月30日に羽賀研二さんの未公開株詐欺事件に渡辺二郎さんも共謀していたとして逮捕された際、渡辺二郎さんが山口組極心連合会の関係者であることが判明しています。 この逮捕で、警察に押収された渡辺二郎さんの携帯電話を解析したところ、島田紳助さんと暴力団関係者をつなぐ大量のメールが出てきたとのこと。 ちなみに島田紳助が送ったメールの一部を紹介します。 このようなメールが出回るということはやはり黒い噂や繋がりがあったのではないか?と考えられますね。 以下のような情報があります。 こないだ会長の顔みて、ほっとしました。 縁あって知り合い、ほんま心ある関係にさしてもらいうれしいです。 会長に心配していましたと言う前に、紳助、心配しとったんやといわれました!すごい方ですね。 ありがとうございます!感謝です。 二郎さんと(橋本)会長に守られていると思うと心強いです!これからもずっとがんばります (05年6月10日) なんか凹みますわ!気よわいですわ!あまり上いくとあきませんね。 なんやかんや言われて、ヤカラですわ!今日は大阪の自宅です。 秋から寿司屋やろうと、昼から会議です。 二郎さんは今日は大阪ですか? (05年6月14日) ほんまええ人ですよね。 熱い熱い人ですから。 次郎さんがいてすべてが成り立っています。 しかし実際は引退理由はこれだけではないようです。 これが表向きのことなら、表があるなら裏がある。 それが世の中です!ということでここからは裏情報について調べていきます。 島田紳助の引退理由の真相は女性マネージャーへとのトラブル?! 島田紳助は現役中に女性マネージャーとトラブルを起こしたことがあります。 そのことを紹介します。 2004年10月25日、大阪・朝日放送のロビーで島田紳助さんがコラムニストで写真家・勝谷誠彦さんの女性マネージャーに対して傷害事件を起こしました。 女性マネージャーは、紳助さんから「あいさつの仕方が悪い」「俺を誰だと思ってるんだ」と詰め寄られ、控え室に連れ込まれ怒鳴り散らされたあげく複数回にわたって暴行を受けたという。 この記事だけですと女性マネージャーが被害者のようですが、実はこの女性マネージャーは日頃から態度が悪かったとも言われているので、正直分かりません。 しかし先に手を出してしまったことから島田紳助が悪いということになります。 島田紳助さんは大阪区検から傷害罪で略式起訴され、大阪簡裁に罰金30万円を全額納付しました。 女性マネージャーは島田紳助さんの芸能界引退を要求していましたが、わずか2ヶ月の謹慎で島田紳助さんが芸能活動復帰したことと、吉本興業を解雇されたことを不服として、島田紳助さんと吉本を相手取り東京地裁に4400万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。 裁判は女性マネージャーの勝利で、東京地裁は島田紳助さんと吉本に対し1045万円の治療費などを支払いを命じたのですが、それでもまだ不服として控訴。 被告も控訴しています。 最終的に2011年9月22日に東京高等裁判所で和解が成立しましたが、吉本興業は内容を明かにしませんでした。 おそらく、女性マネージャーに有利な内容であるために、公表したくなかったのでしょう。 この事件の真相というか女性マネージャーの真意も分からないので何とも言えませんが、普通はタレントがマネージャーに暴力ってないでしょうから普通は一緒に頑張っていく仲間なはずですからね・・・。 真相不明ですが一応は解決したんですね。 そしてここから話はさらに奥へと入っていきます。 世の中で実は男性が失敗していくことの多くの要因は以下のような3つよいうことがよく言われています。 男がダメになるのは女・酒・ギャンブルの3つの要素のどれかが絡んでいるという僕の信念があります。 いくら金持ちでも有名人でもそのことは当てはまるということですね!!!ここからはそんなことについて書いていきます。 島田紳助の引退理由の真相は女がらみ? 島田紳助は芸能活動の現役時代にはさまざまな女性問題が上がっていました。 美女と関係があって羨ましいなって僕は思います(笑) 以下のような人と関係が噂されていました。 いろいろと調べてみましたが、他の人とはガセの可能性が高いですね。 そしてここから核心に迫っていきます。 島田紳助と飯島愛の関係とは?! まずは飯島愛について紹介します。 飯島愛さんはタレントでしたが、元セクシー女優という異色の経歴を持っていました。 自分の意見をしっかりと持ち、人の相談にのってあげる心の優しい女性だと記憶しています。 残念ながら2008年3月31日の芸能界引退後、1年も経過しないうちに2008年12月24日、自宅で亡くなっているのを親戚の女性に発見されました。 警察の調査で死後1週間ほど経過しているということから、死亡推定日は2008年12月17日前後。 肺炎が原因とされていますが、飯島愛さんは36歳と若く、亡くなる病名とは考えにくいことから他の原因ではないかと言われています。 そしてこの飯島愛の死に島田紳助が関わっているという都市伝説があります。 そのことを紹介します。 京都・清水寺に「三年坂(産寧坂)」と呼ばれる「登る途中で転ぶと三年以内に亡くなる」といわく付きの坂があります。 京都をめぐるテレビ番組のロケ中に、三年坂で島田紳助さんが飯島愛さんをわざと転んでみせろと仕向けたために、飯島愛さんが転んだふりをしました。 ふりと言っても転んだことに違いはありません。 それが飯島愛さんが亡くなった原因で、三年坂で無理やり転ばされた飯島愛さんの怨念が島田紳助さんを引退に追い込んだという噂があるのです。 このようなことを信じるか信じないかは人次第ですが、若くして亡くなった飯島愛の亡くなった原因が明確でない以上はこのようなことが噂されてしまうということもあるということですね。 実際は島田紳助と飯島愛は男女の中ではないが、とても仲良しだったと言われています。 そして島田紳助と関係が噂されている女優についてさらに調べていきます。 島田紳助と上原美優との関係とは? 島田紳助は女優の上原美優をとても気に入っていたといわれています。 ちなみに上原美優も2010年3月29日に母親が心筋梗塞のため65歳で他界したころから上原美優さんの様子が変わり、残念ながら2011年5月12日24歳という若さでに自らの命を絶ちました。 島田紳助が上原美優を気に入っていたというエピソードについて紹介します。 島田紳助さんは上原美優さんを気に入っていて、番組にも積極的に登用していたんですよ。 例えば、2009年4月4日放送のオールスター感謝祭のゲストで上原美優さんは出演しています。 それが島田紳助さんと上原美優さんの間に男女の関係があったのではないかと噂されることになりました。 さらに上原美優さんの父親は島田紳助さんから高級腕時計をプレゼントされていたとの情報もあり、上原美優さんを可愛い後輩として見ていたと考えられます。 この上原美優の死に島田紳助が関わっているという情報があるようですが、それは全くのガセネタですね。 上原美優の亡くなった直前に男性との関係が出ていますが、それは島田紳助ではなく 関東連合 の石元太一です。 よってこの上原美優の亡くなった件について島田紳助は無関係でしょうし、正直上原美優を娘のように可愛がっていたという感じだと僕は思います。 そして最後に気になる島田紳助の芸能界復帰について調べていきたいと思います。 島田紳助の芸能界復帰を望む声は多数ありますが、実際復帰する可能性はあるのでしょうか? 島田紳助は芸能界に復帰する可能性はあるのか? 今現在島田紳助は仕事をしていないという情報もあります。 しかし一生お金に困らないくらいの貯金があるといわれていて、現在は悠々自適な生活を送っているみたいですね。 そんな島田紳助の芸能界への復帰ですが可能性が低いということですね、 週刊文春で、島田紳助さんは芸能界復帰をハッキリと否定しています。 もともとの友人や、引退後に新たにできた友人たちとともに「クソガキみたいに遊んで過ごす毎日」を送る紳助氏。 いまだ囁かれ続ける芸能界復帰説については、「芸能界でやり残したことはありません」とはっきり否定する。 島田紳助本人的には芸能界に復帰するつもりはないようですね。 でも島田紳助の復帰を期待している人は多いと思いますね。 また何かの機会に島田紳助の切れのあるトークが見れたら嬉しいななんて僕も思っています。 ということで今回の記事はここで終わりです。 長文を最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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島田紳助が激白「松本の発言は別問題やから。でも大崎クビにしたら会社潰れんで」

島田 紳助 会見

大崎さんが辞めたら吉本辞める、いうのは松本は当然やと思うよね。 もう兄貴みたいなもんやから。 『僕があんのは大崎さんのおかげや』っていうのはあいつの思いやから。 そういう思いは正しいし、みんなそんな思いでやってんのと違う? 大崎クビにしたら会社潰れんで。 ほんまに。 イメージはどうだか知らんけど実質問題、大崎という人間はカリスマ的な人間だったし、今吉本の中で唯一カリスマがある人間やし、クリエイティブな能力があって出世した男やし。 タレントの気持ちもよくわかるし。 何で兄貴って言うんだと言ったら本当に兄貴みたいな存在なんですよ。 だから今吉本の大崎が辞めたら、松本も辞めるって言うけども、大崎辞めたら吉本も潰れるから辞めんでもなくなるで。 真面目な話、大崎が辞めたらみんな辞めますわ。 「(ギャラが)1500円とか、そういう奴ら全員食べさすことは不可能やからね。 だから宮迫は『僕らクビになったけど直営業は無くさんといてくれ』と言ってたけど、直の営業は若い子は行かないと、生きていけへんの。 それは吉本も咎めへんから。 吉本の営業部って座って待っとるだけやから。 そりゃそんなんで仕事来るわけないもんね。 だから、よその会社とおんなじようにやれっちゅうて絶対無理やわそんなん。 そんなんしたらみんな、餓死」 この島田氏へのインタビュー《ノーカット1万字版》はで公開中だ。

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石橋貴明VS島田紳助【喧嘩】ものまね引退会見パロディで激怒!2人の確執とは

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島田紳助の引退会見は衝撃的で世間を賑わせた。 普通の視聴者なら「なぜ急に引退するんだ」という疑問もあっただろう。 あの引退会見で紳助は前提として もう芸能界からいなくなるわけですから、守るべきものも何もありませんから、吉本興業にもすべて正直に喋りましたし、今日もすべて正直に喋ろうと思っております。 と前置きをして引退する理由を話しはじめた。 紳助は本音を話すときにネクタイの結び目を触るクセがある 紳助の番組をよく見ている人は知っていると思うが、 紳助は 本音や真実を話そうとする時にいったん自分のネクタイの結び目を触るクセを持っている。 特にスーツを着ている『行列のできる法律相談所』の時はそれが顕著だった。 例えば、「これマジメな話するけどホンマに・・・」と前置きする場合だ。 引退会見の時も同じだった。 ただし、事件の話の内容のすべてが正しい真実とは思えない言い回しをしている。 「十数年前の僕が解決できない悩み」という話をする前にネクタイの結び目を触っていたことから、 紳助本人はこの「十数年前の僕が解決できない悩み」が非常にキーポイントだったということがわかる。 「十数年前の僕が解決できない悩み」とは右翼団体とのトラブル 「十数年前の僕が解決できない悩み」と会見で話たこの悩みとは、 関西ローカルで放送されていた『紳助の人間マンダラ』という番組での発言が問題になっている。 紳助は街宣車に文句をつけて「皇室の菊の紋」を侮辱するような発言をしたトークをした。 そして、その放送を耳にした右翼団体が激怒したのだ。 激怒した右翼団体は関西テレビ放送の前で大音量で街宣する攻撃をされたと言われている。 これが事件の発端だ。 では、なぜ紳助はそんなことをテレビで発言したのか? それではなぜ紳助は番組のトークでそんな発言をしたのか。 これは 関西ローカルと全国区放送の番組の性質の違いにある。 問題になった発言があった『紳助の人間マンダラ』という番組は関西ローカルの番組だ。 そもそも関西ローカルの番組というのは• 番組製作のお金がない• 枠をはみ出す面白さを良しとする風潮• 企画ありきではなく、芸人や出演者に完全に任せる傾向 このような独特の特徴がある。 なので紳助に限らずを見ていればわかるように、 どんどんぶっちゃけて話すトークがすごく好まれる。 つまり、全国区なら控えようとするような内容でも、 関西は何でもしゃべってしまえというような雰囲気もあるために、 このようなきわどいトークもそこまで考えずに話たのだと想像できる。 神経質で気の小ささが伺える紳助の性格があらわれている 紳助はこのように裏社会と繋がっている団体を大きく敵に回してしまったことを相当悩んだのだろう。 これは引退会見でも言っていた「どうしようもない」という状態だったということが伺える。 どうしようもないことが起こったんで、自分自身が本当に(芸能界)を辞めようと思いまして と発言している。 この辺で相当悩んで芸能界の引退を考える程落ちてしまうのが紳助の神経質な性格がよくあらわれていると思う。 「昔からの友人であるAさん」=W氏にしか頼るしかなかったのか? 紳助が引退会見で表現している「昔からの友人であるAさん」は元ブロボクサーのW氏。 団体とのトラブルについて紳助はのW氏に相談した。 この渡辺氏は義理人情のある人だと言われているそうだ。 おそらく紳助もW氏に関しては非常に信頼を置いていたのだろう。 そして引退会見で表現している「組織のBさん」というのは誰もが知る日本最大の組織の上層部のH氏。 紳助はW氏を通してH氏が団体とのトラブルを解消してくれたと話している。 つまり、団体の攻撃は止んだということだ。 紳助は心境としてもどうしようもない状態のために、 もう彼に頼るしかなかったのかもしれない。 吉本興業はタレントを守ってくれないのか? しかし、ここで不思議に思うのが、 なぜ紳助はそんなW氏に頼るしかなかったのだろうか。 吉本興業は紳助をなんとか守ることはできなかったのかという疑問が残る。 芸能人としての晩年の紳助はドル箱ではあったことは確かだ。 十数年前の紳助だとそこまでドル箱と呼べるランクではなかったのだろうか。 最悪、吉本は紳助がそのトラブルがあった時点で引退してもかまわないと考えていたようにも思える。 会社としての保身? これはやはり吉本興業が法人としての保身を最優先しているからのように見える。 吉本自体がそのトラブルで紳助をかばうことをすることはしない。 それぐらい芸人は 一商品という扱いなのだろう。 吉本は毎年毎年大量のNSC生を資格条件ほとんどなしで募集している。 どんどん人を集めて商品として使えうタレントだけを絞っていけばいいという感覚なのだろうか。 紳助が結局組織の人に解決してもらわないといけないのは、 紳助自体が 会社は自分を守ってくれわけではないという感覚を持っていると言えるかもしれない。 吉本と紳助の対立 しかし、吉本が紳助をかばわない理由というのも見当たる。 紳助は吉本を敵対するような発言を連発していたこともあるのだ。 紳助が慕っていたB&Bの島田洋七は吉本を辞めている。 にもかかわらず、2007年には洋七の映画に紳助は出演している。 これに関しては吉本の上層部の人間には良くは思われていない。 また、橋下市長が府知事時代にワッハ上方をつぶしてしまうという話をしていた時に、 紳助は「記念館とかいらん」とテレビで発言したそうだ。 これにも、紳助が吉本興業に対して良く思っていないという感情と、あえて敵対した発言をしていると考えられる。 昔から会社とこんな関係ならば団体とトラブルになっても会社はかばってくれなくても当然かもしれない。 「これまでお会いした回数は4,5回だと思われます」はウソ? 引退会見で流暢に事件の説明をしている中、違和感のある箇所がある。 まずの箇所の引用。 そして十数年間のお付き合いの中で1回も会ってないかというと、そういうことはありません。 あった回数はえー、自分の記憶の中で約4,5回だと思われます。 これを言ったあと紳助は肩をすくめるような動作をとる。 こんな感じだ。 これも紳助のクセの1である。 これは「約4,5回」と言ったことに関して 攻撃をされないか防御をしようとしている心理が働いているだろう。 「自分の記憶の中では」と前置きしている時点でその数字はいくらでもかまわないわけだ。 記憶の中なのだから。 実際、紳助はH氏を自宅まで招待をしているという話も出ている。 つまり自分では4,5回ではないのを認識しているのではないかと思う。 回数はサバを読んでいる気がする。 組織の人間を特別視しているからこそ特別ではないことのアピールが多かった そして、紳助はW氏を通してH氏と交際をしていたことに関して、 「他の芸能人や先輩方と同じように」 という言葉を強調する。 これは紳助がH氏を特別視していたからこその裏返しだろう。 オレのバックにはあのH氏がついている 紳助はH氏と交友するようになったのいいことに、 何かあると「オレのバックを誰やと思っとるんや」というような旨の発言をするようになったと言われている。 紳助の性格から、H氏との交友で自分は最強の組織に守られているというような感覚を持っていたように思える。 しかし、これは非常にこわいことだ。 同じ芸人や吉本の後輩がこういう言い方をされるともう島田紳助が相当恐ろしい存在に思えてしまうだろう。 ただでさえ恐い存在だと思うれるキャラクターなのに・・・。 H氏との交際を絶交するわけにはいかなし紳助 吉本興業からH氏とのメール見せられた紳助がとった判断は芸能界の引退だったわけだが、 これは裏を返せば、もし芸能界を更に続けていくことになるとH氏および組織の人間とはいっさい絶好をすることになる。 そうするとこれまで味方をしてくれた 最大の組織が最大の敵となってしまう可能性があるわけだ。 紳助の性格上、それに耐えることはできないと判断したように思える。 紳助は生きることに対しては非常に真面目な性格だ。 今後の人生もまだまだやりたいことをやっていくつもりだろう。 そこで、組織と敵対するようなことだけは絶対にしたくなかったはずだ。 つまり、「H氏との絶交」と「トークに脂が乗っている状態での芸能界の引退」を天秤にかけたときに、 紳助は「トークに脂が乗っている状態での芸能界の引退」を選択した方が有利だと判断したということだ。 紳助が引退することに関しての奥さんのコメントがオモシロイ 記者がこんな質問をした。 「奥様、ご家族、身近な方はなんとおっしゃっておりますか?」 の質問に対して あー嫁はあのー「自分のやりたいようにやったらいいよ。 自分の思うように生きてください」と。 という奥さんのコメントがかなり投げやりでオモシロイなと思った。 紳助と 奥さんとのドライな関係がうかがえる。 最後に・・・ 引退会見で松本人志や上岡龍太郎の名前を出すところが紳助らしい。 自分をプロデュースする才能に溢れる紳助が、 最後に自分を飾って格好つけたかったんだなと感じる。 そんな引退会見だった。

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