サンタ マリア デッレ グラッツェ 教会。 最後の晩餐(Cenacolo Vinciano)の入館方法、予約方法

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 (ミラノ)

サンタ マリア デッレ グラッツェ 教会

最後の晩餐見学 昼食が終わって最後の晩餐まで時間があるのでブレラ絵画館へ。 1階は美術学校で 若い人が大勢いる、2階に上がり左手に曲がると美術館の入口がある。 15世紀からの宗教画が多く展示されている。 ティツィアーノの聖ヒエロニムス、ティントレットの聖マルコの遺体発見、カラヴァッジオのエマオでの晩餐などがあり、ラファエロもあって感激する。 駆け足で観て回った後、ブレラからぶらぶら歩いてドゥオーモ広場に戻り、地下鉄1号線に乗る。 カドルナ駅で降りて駅員にサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会への道を聞くと、1駅先のコンチリアツィオーネまで行けと言ってプラットフォームまで案内してくれる。 JTBの案内書ではカドルナ駅から歩いて10分と書いてあったが、なるほどコンチリアツィオーネからは5分で着く。 チケットを買って少し待っていると、老婦人に話しかけられる。 東京からのツアーだが最後の晩餐が入っていないので一人で来たとのこと。 部屋に入ってイヤホーンガイドを耳にあてていると、イヤホーンガイドがあったのですかと聞かれるので貸してあげる。 1497年に描かれたダ・ヴィンチの最高傑作と言われている絵である。 キリストが弟子達にお前達のうちの一人が私を売ろうとしていると言った瞬間の驚きと動揺が描かれている。 食卓に右肘をつき銭袋を握りしめているのがユダである。 長い間修復中であったが、ようやく咋年から再公開されている、フレスコ画ではなく漆喰にテンペラで描いているので数十年後には色の剥奪が始まったと言われており、500年経った現在では、修復後も色調はうすい。 地下鉄2号線の終点からバスに乗り、1駅目で降りてホテルに帰る。 添乗員は市内からホテルに帰る時はタクシーに乗りなさいと言うだけで、他の交通手段については説明しなかった。 安全第一を考えるのであろうが親切とは言えない。

次の

イタリア・ドライブ'97 (12) ミラノ・コモ編 (2)

サンタ マリア デッレ グラッツェ 教会

サンタ・サビーナ聖堂 Basilica di Santa Sabina all'Aventino (イタリア語) Basilica Sanctae Sabinae (ラテン語) 基本情報 所在地 : 管理者 ウェブサイト 建設 形式 着工 422年 完成 432年 建築物 正面 南西 横幅 60メートル 200 ft 奥行 30メートル 98 ft 奥行 17メートル 56 ft サンタ・サビーナ聖堂(: Basilica Sanctae Sabinae、: Basilica di Santa Sabina all'Aventino)はのにある名義で、の母教会である。 の丘の上、テヴェレ川のほとりにあり、近くにの本部がある。 5世紀に創建された古いバシリカであり、上から見ると古典的な長方形の形状で、円柱を使っている。 装飾はたいていが白く、創建時の謙虚な状態に復元されている。 そのため、窓から差し込む光に照らされた内部は広々としていて風通しがよい。 などの他のバシリカは、派手に装飾が凝らされていることが多い。 その簡素さから、サンタ・サビーナ聖堂は古代ローマの屋根付きのからキリスト教のへと発展する途中段階を表していると言われている。 の指定巡礼聖堂である。 歴史 [ ] サンタ・サビーナ聖堂は、422年から432年に出身のの が建てた。 その場所は、後にされた2世紀ごろのローマ人女性サビーナ の家があった場所である。 元々はその近くにの神殿があった。 1216年、が説教者修道会を認可し、後にそれがと呼ばれるようになった。 1222年6月5日、ホノリウス3世はサンタ・サビーナの教会をの創立者である聖に与えた。 一説には、ホノリウス3世はサヴェッリ家出身で、サンタ・サビーナの教会はサヴェッリ家の所有する資産の一部だったといわれてきた(そのため、ドミニコ会に寄贈できた)。 しかし、ホノリウス3世がサヴェッリ家出身という事実はない。 おそらくサヴェッリ家出身のと混同したための誤解と考えられる。 いずれにしても、この教会堂はドミニコ会に与えられ、その後一貫してローマにおける同修道会の本部として機能してきた。 外観 [ ] 内部 5世紀当時ののモザイク画は1559年に改修され、のよく似たフレスコ画に置き換えられた。 構図はそのまま保持されていると見られ、キリストが丘の上に座っていて両側に男女の聖人が立っており手前の小川の水を子羊が飲んでいる。 この図像は別の5世紀のモザイク画とよく似ているが、そちら Sant'Andrea in Catabarbara のモザイク画も17世紀に破壊された。 修道院 [ ] 隣接する修道院には聖を初めとして、やが暮らしていたことがある。 ドミニコ会修道士のための修道者独房の内装は同修道会創立初期とほとんど変わっていない。 聖ドミニコの独房もわかっているが、現在は拡張されてに改造されている。 も食事をとったという食堂室もそのまま現存している。 脚注・出典 [ ]• The Order of the Preachers. 2009年1月29日閲覧。 Berthier, L'Eglise de Sainte-Sabine a Rome Rome: M. Bretschneider, 1910. Joan Barclay Lloyd, "Medieval Dominican Architecture at Santa Sabina in Rome, c. 1219-c. 1320. " Papers of the British School at Rome. 2004. v 72, p 231-292, 379. 参考文献 [ ]• Krautheimer, Richard 1984. Early Christian and Byzantine Architecture. New Haven: Yale University Press. 171—174. Richard Delbrueck. "Notes on the Wooden Doors of Santa Sabina", The Art Bulletin, Vol. 34, No. Jun. , 1952 , pp. 139—145. Ernst H. Kantorowicz, "The 'King's Advent': And The Enigmatic Panels in the Doors of Santa Sabina", The Art Bulletin, Vol. 26, No. Dec. , 1944 , pp. 207—231. Alexander Coburn Soper. "The Italo-Gallic School of Early Christian Art", The Art Bulletin, Vol. 20, No. 2 Jun. , 1938 , pp. 145—192. Richard Delbrueck. "The Acclamation Scene on the Doors of Santa Sabina" in Notes , The Art Bulletin, Vol. 31, No. 3 Sep. , 1949 , pp. 215—217. 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 , with Mario Armellini's•

次の

イタリア旅行記 ミラノ サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

サンタ マリア デッレ グラッツェ 教会

制作期間も約3年で、レオナルドにしては非常に早く完成しました。 絵自体は部屋が立体的に描かれており、当時からすれば斬新な手法でした。 また、この絵はテンペラ画という技法が用いられています。 卵や油で顔料を溶いて使うものですが、当時の主流ではありませんでした。 しかし重ね塗りができるため、作品に完璧を望むレオナルドは、それを採用したのです。 ただ、テンペラ画には致命的な欠点がありました。 温度や湿度の変化に弱く、劣化が早かったのです。 そのため、完成後はあっという間に劣化し、修復の失敗などもあって大変なダメージを負ってしまいました。 このようなことがあってもなお、500年の時を超えて「最後の晩餐」が現存することは奇跡と言われています。 そのダメージに対しては、日々進歩する復元技術を用いて修復が進められています。 1980年に世界遺産に登録されてからは見学は完全予約制となりました。 何枚もの扉と空間を通り抜けないといけませんし、見学時間も限られています。 こうすることで、絵が外気に触れる時間をできるだけ減らしているのです。 フラッと訪れても見学はまず困難です。 旅行会社やウェブサイトで予約をし、心の準備をして臨んで下さい。 「最後の晩餐」にはまだまだ謎が隠されていると言います。 もしかしたら、みなさんが謎を解けるかもしれません!.

次の